残念だったのは、スタートラインだ。
どうしてか。
孤児院の閉ざされた上下関係だったり、理不尽さが伝わってこなかった。
誰の目にも、孤児院の環境は恵まれているように映ったことだろう。
それどころか、理不尽なのは、月にいちど慈善家から「服」を貰っている子どもたちだった。思春期的背景が描かれておらず、贈答する側である紳士を「悪者」に収斂しているのはしっくりこない。
記号化するべきだったのだ。
「孤児院」という固定概念に頼ればよかったのだ。
しかしながら、大都会に生きる若者の群像劇として再度眺めるとおもしろい。溜まり場とバーの、地下の、過去と決別したり延長線上だったりする入り口。そこに、「孤児院」とは異なる寒空の生傷を感じる。
ここは かすかに あたたかい。