みえているせかい 公演情報 劇団アルデンテ「みえているせかい」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    鑑賞日2018/06/23 (土)

    ぱっと見で舞台に流れる空気はコメディなのだが、微笑んでやり過ごす登場人物たちが「裏で湛えている心理」に想像の翼を広げると…とても切ない感情が湧いてくる。何とも両極端な二面性を持った作品だと思う。

    以降、ネタバレBOXへ

    ネタバレBOX

    (続く)

    先にコメディ面の面白さを挙げる。

    一つ屋根の下に集う「心優しき奇人変人たち」のてんわやんわ…漫画なら定番のオーソドックスさだが、それでもなお万人に愛されるシチュエーションの楽しさ。

    一見 巻き込まれ系主人公の絵本作家・洋介。

    その前に現れた押しかけJK弟子の永遠(トワ)は…オツムが弱そうで笑える受け答えの中に妙に本質を突く知性を感じたり、ビジネストークの様なエセ英語を口調に散りばめる等、愛らしさと笑いに知性を添えた好人物でした。

    大家ちゃんは いわば幼馴染キャラと妹キャラを足して2で割り、有り得ない立ち位置(大家)にぶち込んで、ツッコミとボケを兼ねるユーティリティプレーヤー。

    そして、オタク、オカマは笑わせる(笑われる)ツボを押さえて嵐の様に舞台で暴れまわるが、後々、「異質を温かく受け入れられる資質」を秘めている点で…納得の役どころですね。(虐げられる人達だから優しくなれる感じ。)

    何にしても、話に深く潜ろうとせずとも、とても楽しめる作りになっていました。


    しかしやはり、その反面として迫る「切なさ」について多くを語りたい。
    … そのカギは…主人公 永遠(トワ)が心酔する…洋介作の「ある絵本」が握っている。​​

    この絵本の中身がどんな物語なのかは作中では多くは語られない。その絵本に投影された洋介の心情、永遠が感動した背景、元カノ・亜里沙の反発も…深く掘り下げられることはない。

    本作の この「裏」の部分に…何らかの気配を感じ取った人には、この曖昧さは物足りなく感じるかもしれない。ただ、これだけ布石を打っておいて、その先を観客の想像に委ねるのも大胆だし…現実世界のコミュニケーションとしてリアルだとも思える。

    一見、朗らかに生きる人達の裏にも切ない何かが必ずあるのだ… そのことだけ感じさせ、そこから観客が想像を巡らす…気配を窺う…「他人の身になって考えること」を促しているのかもしれない。結果、察したモノが何であっても、きっと良いのだろう。

    しかし、作演の近藤文拓さんは一つ大きなヒントを作品の外(Twitter)に公開している。

    それが…作中でその存在だけが触れられている絵本「みんなのせかい」のラフ画像だ。

    主人公の「ハリネズミ」が…彼のテリトリー外から現れ仲良くなった友人「小鳥」との仲違いから話は始まる。

    ​そこを起点に… ハリネズミは小鳥の足跡を追い、小鳥の心情を想像し、自分の存在の小ささと取り返しのつかない行為に苛まれ、…もはや「小鳥と交われぬ…住む世界の違いに絶望する」…そんな空気を想起させる内容なのだが…

    これは明らかにハリネズミが洋介であり、小鳥が亜里沙と思える。

    ​ただこの絵本… 本当に洋介と亜里沙の別れの原因になる作品だったのかは曖昧だ。この絵本に関する永遠からの振りに対し、亜里沙のタイトルの記憶が曖昧だったからだ。

    この解釈次第でこの絵本の位置づけと洋介たちの心情は大きく変わる。

    私には、この絵本に、洋介の作品に口出しをした亜里沙との揉め事、亜里沙との別離、…洋介の後悔… 事の顛末がすべて映し出されているように見えた。空と海は…どこまでいっても交わらない…という描写は、打ちひしがれる洋介そのものに見えた。

    だからこの絵本、亜里沙との別離の後に手を加えられて今の形になっている気がしている。洋介の苦い経験を元に… 亜里沙への詫びと反省と亜里沙への募る想いを反映して作り直されたもので、…でも未だに亜里沙には届いていない(読まれていない)んじゃないだろうか… (読んだけど反応してもらえなかったと洋介は誤解している?)

    亜里沙には…洋介の「自分にみえる世界」への不満、その世界から出ていこうとする行為…、それを悲しんでいるととれるセリフがあった。公開されている「みんなのせかい」とは齟齬があるように思えたので、亜里沙が知っている「みんなのせかい」は、手直し前のプロトタイプだったって想像してる。

    ​しかし、もし本当に…この「みんなのせかい」が亜里沙と揉めた作品だと解釈するなら、当時の2人の事態はより深刻だ。亜里沙が身近にいたのに… 洋介は亜里沙に心を開いていなかったってことだ。

    確かに、これは亜里沙にとって受け容れられぬことかもしれない。

    …だが、少なからずこれは作家の業だよね。作家はうつろう精神を作品に反映するもので、必ずしも一貫したロジックを連ねるものではない。これを受け容れられる広い懐が…作家のパートナーには必要に思えるが、亜里沙が改めて現れたということに…この3年の間に…そういう成長があったことを窺えるのかもしれない。

    さて、もう一つの関心が… 永遠がこの絵本にいったい何を見出していたのか…ということ。…切ないながらも…ネガティブな心情が表に出ているこの絵本に… 何か共感できるような境遇に…永遠は居たのだろうか…

    彼女の境遇もセンセーショナルな取り沙汰がされる割に、曖昧なまま話は進む。親友との楽し気なコミュニケーションを交わす反面…「両親が共に自殺」は思わず息を呑む。何となく「近くて遠い人たち」的な人間関係を想起するので、その辺りに共感したのかもしれない。

    …ただ、何となく洋介の込めた意図とは別の価値を、この絵本に見出している可能性も感じていて面白い。(永遠のキャラクターならあり得る。)

    洋介も、そこに何か新たな気付きを得たのかもしれませんね。良い関係だなぁ…実は作中で多く語られる「大人と子供」の話は… 私にはあまり刺さっていない。大人と子供で差がある話に思えなかったからかな… 作中、子供だからと変な線引きをする人も、大人だからと理不尽な責を求める人もいなかった。なんか優しい世界だったよね。

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    2018/08/18 00:51

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