プルートゥ PLUTO 公演情報 Bunkamura「プルートゥ PLUTO」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    グレードアップした再演との事だが、著名な振付師が演劇舞台に舞踊を織り込んだ・・というレベルではなかった。シディ・ラルビ・シェルカウイという才能がなければ、他のアプローチで同じ山には登れないだろう。
    初演も原作コミックも未見だが、原作の成り立ちからして重層的な芝居の予感、関心大いに沸いて観劇した。お薦めしたいが残念ながら日本上演は28日が最後(来月より海外)。
    要所で映像が用いられ、特に序盤では原作コミックの場面が映し出されて劇世界を原作に寄せて「説明」すると同時に、漫画というジャンルへのオマージュを表現する。美術では漫画のコマを模した図形(四角形)のピースを変幻自在に用い、巨大なコマ形をバトンで上げ下ろし、映写幕にしたり背後の場面の枠としたり、象徴的な表現に終始するかと思えば作りこんだバザールや店内の鮮やかな具象が出現したり。
    また「芝居」の領域に積極的に絡む凄腕のダンサーたちのアンサンブル、ソロは「芝居」全体を一つの生き物とする神経系統や循環器など生命機構の一部として躍動し、「人物」を体現する俳優の世界と同居していた。
    その他ロボットの模型などの小道具、衣裳、ロボット役(或いは人工部分を身体に持つ役)の演技の端々まで、SF世界の風景の構築に動員され、大胆で緻密。
    ダンスで印象的な箇所、役者も含めて群舞となる場面があるが、暗色基調の衣裳がそのシーンだけは個性溢れる色彩の衣裳をまとい(パステルでなくコンテのような、地味な差でも豊かな色彩感のある)、高度に発達したロボットが席捲する世界の物語に、新たな変化の予感(希望の予兆?)を表現した。

    現実の21世紀に加速した矛盾と重なりあう矛盾(イラク戦争を想起させる)が一人の人間の感情に集約される。即ち復讐のベクトルの存在が、次第に浮かび上がってくる。現代を語るに外せない9・11由来の世界秩序の問題がこのドラマの軸となっている訳だが、(今や日本のどんなドラマ、映画でもお目にかかれない)正当な視点が示される。
    その一事、復讐側と秩序側が本来的には対等であること、「怒り」の側を体現する役(吹越満)の演技によって形象された人物は、今や秀逸に感じられる。しかもご都合主義の匂いは周到に排され、架空設定の真性SFなのに、「今」の事のように突き刺さる。

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    2018/01/28 07:33

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