声の温度 公演情報 よこしまブロッコリー「声の温度」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    むちゃくちゃ好みのお話でした。
    コミュニケーションの研究者 ツバキの物言いにゾクゾクする。対比的な構成、役者の演技も効果的。

    奇しくも1週前に…同じく「声」をタイトルに冠した空宙空地「声にならない」があり、それと合わせて観た身としては、「声」の扱い、視点の違いによる相乗効果で味わいが二乗増し。たくさん観劇すると偶にあるラッキーでした。

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    ネタバレBOX

    開演前から気になってしょうがなかった舞台美術。ほとんどは具体的な物体がなく、「そのモノが何であるか」を表現する言葉の「紙」が無造作に壁などに貼られている…。これが終盤で重要な意味を持つのだが、それを悟らせずに舞台上に示し続ける粋な趣向。
    コミュニケーションの在り方がテーマだが、異彩を放つのはその科学的な切り口。知的好奇心を呼び起こす台詞たち。

    その中心が研究者・ツバキ。魅力的な知性でロジカルに話を牽引する。悪く言えば常に上から目線、趣きはツンデレに近いがあくまで論客。切り捨て御免の非情な口調の中…端々に窺える誠意、欠陥を匂わす情感、それを自覚して苦しむ理性… 不思議なアンバランスさが魅力。

    コンシェルジュ的AIメールサービス、フレンドロイドに取り組むが、そのフィールドワークは実は人の手による応答。世のビジュアル主体の潮流に逆らい、文字による意思疎通の新機軸を探る。

    オペレーターで妹のマコトは失声症。まるでモデムの様にツーツー、ガチャガチャと発語する。当初はAIの擬人化表現も疑った。喋れない代わりに超人的な量の並行処理をこなす。この研究自体、彼女の能力を科学的に吸収・進化し、デバイス化を目指している節を感じる。彼女は道具として利用されているのか?

    しかし、マコトにとってもこの活動は自分の存在意義となっており、芳しくない研究成果の中、ツバキも本研究に固執し、…あたかもこの研究自体が「マコトの存在価値を証明する為」にあるかの様だ。この姉妹、お互いが利己的にみえながらも、その実、互いの為に足掻いている空気が漂う。

    争点となる文字コミュニケーション。
    SNS等、とかく世の中では問題視されがち。意思疎通のための情報伝達に占める割合が、言語はわずか7%、残り93%が声のトーンや表情・態度…との解説がショッキング。

    声が無いと意図は…気持ちは伝わらない?、
    声が無いと人間性が見えない?、
    声がないことが相手にも不安を与える?
    声のない…言葉だけの意思疎通の限界を予感させながら、更に他者による人の評価にも話が拡がる。

    任意の対象者に対する「形容・評価」とは、実は対象そのものの形質を表現しているのではなく、対象者と観察者の相対的な差異を表現しているに過ぎない。観察者次第で表現は変わる。決して対象者のみに依存しない。

    観察者が対象者に貼る「レッテル」は、対象者の絶対を指し示していない。

    「お前にはこれはどう見える?」

    最終的に冒頭の舞台美術がそれを示唆していき、ゾクゾクしたシーンだった。
    発言者が責を問われがちな文字コミュニケーションで、「受け手側の責」を示唆するのは、炎上しがちなSNS等を投影しているのだろうか。

    コミュニケーションはあくまで双方向のもの。受け手の適切な姿勢があればこその難しさ…そして可能性か…。そして本作で、文字コミュニケーションに活路を見出そうとする姿勢は、劇作家の姿勢ならではかも。戯曲も、演出や演技次第で…さらに観客の受け取り次第で、演劇は変わっていくものね。

    ところで、お話はツバキを初めとする「研究者側」と並行して、舞台のアパート住人…いわば「被験者側」でも進んでいく。

    この研究者側と被験者側の対比の意味に悩んだ。

    一見すると理論と実践の様な立ち位置だが、被験者側は研究者側のサービスは享受しているものの、特段、意識誘導をされている感じはない。
    …一人、住人のミズカワが興味深い心理状態にある。機能的には、頭の中にまるでIF(Imaginary Friend)の様に「元彼」が宿っていて(性質的には全く友好的では無いが)、彼女に一々否定的な言葉を投げ掛け、自分の行動に釘を刺す。自己肯定感が極端に低く、フレンドロイドに「一方的に甘えて、申し訳ない気持ちにならないなんて、なんて贅沢なんだろう。」なんて言っている。

    最終的に、研究者側の活動とは全く別のところで彼女はそれを乗り越え、新しい交際を育むのだが…。研究者側で示唆した「他人の貼るレッテル」に対し、被験者側では「自分で自らに貼ってしまったレッテル」を対比してたのかな。

    「他人とのコミュニケーション」と対を成す「自分とのコミュニケーション」。後者が成り立ってこそ、前者も活きるのか。
    最後に、奇しくも前週に公演のあった「空宙空地」と対比する。
    「声にならない」で声とは「言葉」そのもの。​言葉を外に出すのが声だったと思う。「声の温度」では言葉に「感情・真意」を乗せるのが声だ。共に不自由さに喘ぐ人たち。類似のキーワードで良い芝居を立て続けに観れて大満足。

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    2018/01/05 20:33

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