汝、公正たれ Let us see YOUR own justice. 公演情報 まごころ18番勝負「汝、公正たれ Let us see YOUR own justice.」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    数年振り二度目のまごころ18番勝負は、前観たのとはガラリと様変わり。が、以前の作も事件解明モノで事実の詳細に分け入って話を作りこんでいた印象からすると、通じるものがある。

    ネタバレBOX

    「殺人罪2」を観劇。今回の趣向=参加型であること=を知らず、うかうかと会場を訪れたが、渡された番号の席へ案内されるとそこは数人の一般客が囲む丸テーブル。公演のバージョン4つには罪名が付されているし、会場の様子をみても、法廷に参加する芝居だと分かった。だが今回は「気分だけ(傍聴人)」とか、出来上がった芝居の中で限定的に意思表示タイムがある、程度ではなく、がっつり参加する形態だった。
    これを一つの娯楽として成立させている点は感心させられる。

    印象の一つとして、参加者の意見を入れながらも、ある結論へと誘導されている「物語」的な仕掛けをそこはかとなく感じるという事がある。だがそれは強引な誘導でなく、違和感を覚えない程度の、しかしある種の誘導である。「娯楽」としての成立のためには、最初の印象付け、それを覆す意外な側面、またそれを覆す要素・・と、起伏のあるシナリオがやはり必要なのだ、と納得する。
    最終的にはあるルールに則って判決、量刑が下され、手続きそのものは公正さを担保している。だが、シナリオ、あるいは「誘導」に乗らず、事件のどこに着目することが真に公平、公正な判断かを、探るのが本来的なあり方だとすれば、参加者の多くが誘導に負けているのではないか、と思う所があった。
    その大きな理由は、私の座ったテーブルのみ、量刑が低く、他はどこも高かったこと。他のテーブルでどんな話が交わされ、私のテーブルは何が違ったのかは分からないが、被告の年齢、犯罪に至る特殊な背景は、それを更生し得る社会でありたいと願わずにいないものだった(そう私は感じた)。その印象からすると他はいずれも厳罰主義で如何にも重い。偶然にも?今報じられている殺人事件に重なるものがあったが、似て非なるものだ。(「心証」による違いに過ぎないが、一応判断の根拠はある。)
    その結果、犯罪の「程度」を見極め、重い罪といえども、その中にも罪の軽重(特に軽)を見ようとする視点を私は持つべきだと考えるが、素人にそれができるのか・・という素朴な疑問が湧いた。
    犯罪者を軽く処罰した事で、「もしそれが悪い結果につながったら」という「責任」を意識すると、どうしたって厳罰になる。だが、彼をある境遇に追い込み、掬い上げる事のできなかった社会の一員としての「責任」はどうなのか。自らもそう遇されて仕方ない、自己責任思想が浸透した証しだろうか。自分はそうならない、という強い思いを持たねばやって行けない若者が多いのだろうか。それは自分が落ちそうな予感と背中合わせの証左でないのか。(単に各テーブルを担当したファシリテータの影響かも知れないが・・。)
    意外な結果への驚きから、あれこれ考えさせられたが、「厳罰に処して当然」という判決文は集計結果のランクから選ばれたもので、もっと軽い場合にはそれ用の判決文が用意されていた事と思う(そこは作者を信じたい)。

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    2017/11/13 02:06

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