ミッドナイト・イン・バリ ~史上最悪の結婚前夜~ 公演情報 東宝「ミッドナイト・イン・バリ ~史上最悪の結婚前夜~」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★

    酷評である。こんな高いチケットを、なぜ買ったのかと、終演後に思い出すと、そうそう。荻野清子の音楽、また、テレビドラマで高名な脚本家が台本執筆・・。和製ミュージカルの本格的なヤツなら、一度観ておくのも・・との期待で購入した。いそいそと雨の有楽町へ足を運んだが、感想を述べようとすると、思わず口を閉じたくなる。
    ただ、荻野さんへ一言。
    「見せ場(歌の場面)がそもそも少なく、あっても必然性が薄く無理やり捻じ込んだ歌場面、いやはや盛り上がらない事この上なし。これほど湧き上がって来ない脚本では、あの程度でも致し方なかったでありましょう。私はそう解釈しています。」

    ネタバレBOX

    なぜこういう事になるのか・・ありゃりゃこりゃりゃ。である。
    TV界の著名脚本家の「鳴り物入り」?と思ったが、実のところ仕事にあぶれたのでフィールドを(一段格下の?)舞台に移して再起を図るという事だったのでは?と邪推してしまうほど、本が面白くない。
    予想出来る台詞ばかり。そして、笑いを狙った台詞の、「笑いだけではないよ」というひねりもなく、単発で萎えてしまう。「それだけ?」「おいおい」と心で突っ込みばかりが入る。急にシリアス調になってじんわり感動、お涙頂戴・・って、涙腺より汗腺に響いて生汗がにじんでくる。
    作=岡田惠和。その欠陥だらけの本を演出する人=深川栄洋も、映像業界の人(主にTVドラマ)。平板な舞台処理は、学芸会の延長だ。
    中で、栗山千明が健闘。次いで、溝端淳平。ロートル2人が「思うように動けない!」を登場時点から言い訳にしているような動き。真面目なんだろうけど下手クソな浅田美代子(特に歌がダメ。誰のキャスティングだ?)、歌は歌えるがソロとアンサンブルは別物かな・・の中村雅敏は、芝居が下手、というより、コメディなのにぜんぜん面白くない台本に「滑らされている」、というのが正確なところだろう。
    結婚を控えた若い男女の「不和」も取ってつけたシチュエーション。男の父と、女の母が初めて出会う設定から、二つのカップルが生まれる話だろう事はほぼ予想できるが、その予想を忘れる位のエピソードを挿入して最後に大団円、と行きたいところ、二人を接近させる運びに苦慮している筆裁き。
    最初の出会いのとき、浅田母は中村父を怪訝な目で見、父が挨拶をしようと迫ると逃げるという、挙動不審があるが、その原因も大したもんじゃないだろうと予測され、そしてその通りになる。さんざ逃げ回った挙句、ようやく向き合って「(ひょっとしてあなたは)チャッピー?」と浅田母は中村父に問う(何、チャッピーって。渾名のチョイスのセンスは一体どうなってる。いきなり「チャッピーって何?」の歌に突入。こっちが赤面)。相手が(自分の知る)「チャッピー」だと分かったから逃げていたのか、逃げ回った後、気づいて聞くのかも、判然としない。「逃げる」行為が、母と父のどういう経過に由来するのか、結局よく分からない。納得行く「謎解き」につながる「謎掛け」ではなく、その場で客の目を引こうという「だけ」の、姑息な展開だったというわけだ。
    若い男女の方も、バリにまで来ていながら、不和が生じてしまう原因も判然とせず、従って解消した時の喜びも薄い。というか、観客として殆ど関心を寄せることができない。嵐の夜、人は思わず本性を露呈してしまう・・というイメージと重ね合わせた可能性はあるが、全く嵐の夜、という雰囲気が出ていない。最初は印象的な落雷閃光があるが、その後は背景の色も、音響も、その設定を助けておらず、昼か夜かも天気か曇天か雨天かも分からない。居心地悪く4人が同じ空間にいる気まずさも滲み出てこないのだ。こうした諸々は、単なる手抜きなのだろうか。
    唯一彼らの「実力」を感じさせたのは、ほぼドラマが(煮え切らないまま)収束したあと、ウェディング衣裳に身を包んだ二組のカップルが、中央通路の両側から登場し、輝かしい照明を浴びてたたずむ。私は通路のそばであったので覗き見たが、芸能人オーラというものは確かにある。そういう照明の当て方でもあったが、普段の芝居で役者が通路を走っても、こうはならない。
    一応「よい話」なのであるから、大方の人間は「許す」ことだろう。私は料金との兼ね合いで、不満を言う。別の芝居も目白押しの中、これを選んだのは、自分だ。恨むなら自分を恨め。

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    2017/09/27 00:33

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