どんとゆけ 公演情報 渡辺源四郎商店「どんとゆけ」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    誰のための「死刑反対」か
    「死刑」というワードに身構えるよりも、「むかーし昔、あるところに、悪いことをして『君、死刑!』と宣告された若者がいました」的なスタンスで観劇した方がよい舞台だ。そうでなければ、「被害者遺族」と「加害者(死刑囚)」、「加害者の妻」と「拘置所の担当職員」というたった5人の当事者だけが集まった民家で、淡々と死刑執行の手続きが執り行われ、時折ブラックジョークが差し込まれるこの状況に戸惑いを感じてしまうだろう。この舞台をブラックコメディだ、と断言することも出来るが、私は今回ほど「死刑」の是非を迷ったことがなかった。

    ネタバレBOX

    まず一つは死刑囚の態度だ。不遜でもなく善人にも見えず、コメディの要素に特に反応することもなくずっとうつむいている。「死刑」を扱った舞台や映画では、死刑囚に対する憎々しさと同情(更生への期待)を天秤にかけながら見進めていくのが常で、今回のようにそういった“雑念”を取り払い、死刑制度そのものを突きつけられることは少ないと思う。また、この舞台に登場する人物の中で、この死刑囚を「自分の手では殺したくない」人はいても、「生きていてほしい」人はいなかった点も何気にポイントが高い。そもそも「死刑=国家権力で殺しても何も生まれない」という死刑反対の拠り所は誰を守るためのものなのか、ますます混乱してくる。しかも、被害者の妻は亡くなった夫と子供の写真を取り出し、彼らについて訥々と話すことで観客と加害者を心情的に追い詰めるが、舞台の後半で唐突に踏み込んでくる新しい恋人の存在から、ある意味事件はもはや過去のことであることが分かる。もちろん、亡くなった夫と子供について、愛情が薄れたとか忘れたということではなく、時計が止まってしまった家族を置いて、被害者の妻は新しい時間を生きているというだけのことだ。それを証拠に彼女は一貫して怒っている、殺したがっている。死刑囚が階段を上り、舞台が無人になったときに鳴る重苦しい死の音に虚無感を覚えつつ、直後のカーテンコールに(死んでいる)死刑囚役の俳優さんだけを出さない畑澤さんの演出に、「なんて小粋なんだ!」と、まるでジェットコースターに乗せられたかのように感情を操られた気分になった。

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    2009/01/07 20:53

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