私のいる、宇宙。 公演情報 張ち切れパンダ「私のいる、宇宙。」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★

    ネタばれへ。

    ネタバレBOX

    「宇宙」のヒモ理論や物理学の最新学説などをそれに詳しい(当事者性は一見うすいが事の真相を意外な視点で浮上させるコナン風の立ち位置かに見えた)高校生に喋らせており(私はカガクに詳しくないが)、この場を支配する世間の常識が彼の証言によって覆され「いつも大人が正しいとは限らない」実例を露呈するシーンがいつ来るのか・・・という関心を持ちながら観ていた。この見方自体は正しい態度だったんではないだろうか?と思っているが、様々な点が線を結ばない時間が長く、元々知らない単語が、どういう文脈で使われるのかだけでも聞き取ろうとしてたまたま観客の咳がかぶって波間に消えたり。(日本語ヒアリング速度も疲労のせいか減衰)
    作者もネタを散らしたは良いが「オチ」をつけるのに苦労したのではないか、と想像してしまった。文筆を生業としていた「らしい」父のアイデンティティのありかが不明だし、そうなるとその父と娘との関係も不明。しかも「宇宙」は父が最近興味を持ち始めた領域らしく、すれば父のその俄か興味の対象が、彼の「生き方」にどう関係してくるのか・・等々もぼやけて見えなくなる。かろうじてのオチにパラレルワールドを持ち出し、亡くなった女房が「生きてる世界」を思い、壁一つ隔てたすぐそこに「彼女は居る」、そんなイメージが語られる。この一事は父や娘にとっての母の存在の重さが見えてこそ、意味を持つのであるが、言及しきれていない印象。
    時間が永遠であるなら「一切の事象」がある確率において起こり得る、というテーゼは、私たちの生きる実感にとってはほとんど意味がない。むしろ霊魂というものがこの世には存在し、いつもそこに居る、という観念の方がとっつきやすい。
    もし仮に「死なせてはならなかった」理由が明確にあり、「霊魂」の気休めでは解決しない、どこかで必ず「生きていること」が重要である、というのだとしたら、それは具体的にどんな場合か、だ。この謎掛けの答えは、もう少しあって良いのでは・・と、言葉の不足を感じてしまった。
    今回の挑戦の延長戦がぜひ見たい。

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    2016/12/25 02:26

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