満足度★★★
昔からある方の国立の劇場で昔からある歌舞伎というものを覗いてみた。
そう言えば国立劇場には知人の舞踊発表で小ホールに、また別の知人が出るというので演芸場に、一度だけ随分前に来ていたことを思い出した。が大ホールは初めてである。
第一部の終盤あたりから観劇。当然安い三階席。見晴らしはよく、かき割りや人物の輪郭ははっきり見えるが、表情が見えない。芝居鑑賞の上では視覚からの情報がなかなかに少ないという事になりそうだ。途中から観たという事もあって、何も分からない。睡魔が半端なく寄せては、寄せっぱなし(体調の問題もあり)。せめて場割りごとの粗筋位は、予習して行くのが正しかったと反省した。
唯一、切腹のシーン「由良之助はまだか~」のくだりは落語で馴染みがあり、ああこういう場面だったのか・・、と楽しんだ。
江戸の当時の丁稚風情が芝居にうつつを抜かして団十郎とかナニ左衛門を目にしていたというのは、(それが実態を反映しているならだが)一つの目から鱗体験だった。仕事の最中に芝居見物をしたのが旦那にバレて、お仕置きに蔵に入れられたところが、大の芝居好き、今頃どのシーンをどんな風に、と考え出すと矢も楯もたまらず腹の空いた事も忘れてすっかり覚えたシーンをやり始める。やりながら感極まって熱が入って来るのがこの場面で、いかに感動的なシーンかを、丁稚が演じながら雄弁に説明してくれるのだ(蔵丁稚)。
国立劇場の三階席でも、これから切腹のシーンと見てとれ、いかなるクライマックスかと待ちかねた、もとい、待ちわびた。落語の紹介の仕方は正確であった。 駆け付ける由良之助役は松本幸四郎、観劇中は誰が誰であるなど皆目分からないが、花道を歩くテンポや空気でこの者が主役だと判る(腹を切る殿ではなく)。その由良之助は一際声が大きく、花道から現われる場面では、今逝かんとする主君を見てすぐさま駆け寄らず、無残な姿を見てガックリと腰が落ちる、という芝居をする。この間が、「早く行かなきゃ、時間無いっショ」と素人に思わせ、おまけに上体がやや反り気味になるので、偉そうに見える。悠長だし偉そうだが、否、こちらが主役なのだろうから、たっぷりと大芝居を打ってもらわねばならず、無念さや悲しみをこの男の仮託して観客は胸を詰まらせるのだな、と脳内で補足しつつ眺める。
・・ガックリと来たあと、仰天するような「反り返った」声を発する。これが主を失う無念さ、悔しさ、理不尽さへの怒り、己の無力への落胆・・・・などなどの心情を天井を突き抜けんばかりに表現する、のコーナーであるようだ。
「忠臣蔵」の話じたいは第三部まで続き、殿の切腹はその序、第二部からも観てみたいが残念ながら午前11時から5時間を確保できる日がない。
驚いたのは客が全て、ご高齢の方々だった事(0.1%位は40代が居たかも知れない)。もっと下の世代が居ても良いと思ったが。確かに平日の昼間に4時間も5時間も劇場の中で過ごせる現役勤労者は滅多に居ないだろう。
それよりも気になったのは、本当に観たくて来てるのだろうか・・。伝統芸を一度は観て置こう的な、半ば観光の対象になっておるのではないか。・・帰って行く客の様子をみてその事を感じた。
舞台を観た率直な印象は、「歌舞伎」である事の要素はぞんぶんに味わえるが、どこか古典芸能の領域に収まっている感があって、「演劇」であれば求めたい新鮮さはない。市川猿之助や勘九郎(勘三郎)の活躍を「演劇」の側は目にしているけれども、「本体」の方は保存・保護の意識が強いのではないか、と勝手な推測をしてしまった。
もっとも、素人が三階席から眺めた印象で決めるのは不遜かも知れない。見慣れた人なら遠目でも、芝居の空気が彷彿として来る、という事がある。
完敗の歌舞伎観劇のリベンジはいつになるか・・・