満足度★★★★
蓬莱戯曲の世界
大枚と言える額をはたいて、蓬莱竜太の芝居を観に行く。
蓬莱のモダンスイマーズ時代(今もあるが)からの戯曲世界は現代的な、かつ都市に対する地方の、上層より下層の、コンプレックスや下世話な感情を抉り出しながら止揚するものだったが、ここ最近の芸劇での舞台(今回もだが)での冴え渡り方は何だろうか・・と感慨しきり。
今回は一つの「答え」には到達しない・・・人物の内心には畢竟立ち入れない、分からない、是非はつけられない、という微妙な線上を行く感じ。主人公(向井理)と、彼が職場=故郷の群馬を離れて訪れた中学時代の恩師の作る北海道のコミュニティ、その代表としての恩師藤原(平田満)とのシーソーゲームは、サスペンス劇のように「最後はこちらが正しかった」という結末にはならず、「実態」が知らされることで図が描けるような結末にもならない(それに近い所までは迫るが)。
実態が「何」であるか、という事よりも、この芝居は、「今、こうである」なら、「どう評価するか」でなく「どうするか」に踏み出すべきなのであり、その事で何かが生まれる、一個人の中にある限界を超える可能性をはらんでいる、言葉にすればわざとらしいが、現代人が(現代の状況ゆえに)ぶち当たるテーマに丁寧に触れられている。
この芝居で作演出の意図が、主人公を「痛い人」として描くか、誤解されやすい被害者的位置づけにするか、明確には見えない。
観た客がどちら側の感性に近いかで、違ってくるかも知れない。
向井理が責められた挙句に声を荒げて相手の非を、鬼の首を取ったように指摘する・・その時、主人公の側に「理がある」と感じさせる響きがあって、しかし客観的に見ると自分が他者に及ぼす影響力を知らない「甘い」主人公にこそ非があるでしょう・・と感じる。
ここで気になるのは主人公の年齢だ。
中学時代の恩師と「あれから10年」と言ったのを卒業以来とすれば、現在25歳。だが彼は医学部を卒業して実家の産婦人科に雇われて一定程度の経験をつんでいる(日は浅いと考えられるが)。ならば通常20代後半だろう。
さてそうなると、彼が倫理的な大きな落ち度がないとするには年齢が高すぎ、しかし行動じたいは若すぎる。「イケメン」にしては女性との接触の多さから学んでいない、いじめの影響か・・など推察するが戯曲にはそのあたりは書かれていない。
この倫理的な落ち度の程度によって、彼という人物への評価は変わってくるのだが、戯曲はその問題への拘泥を回避して、「そうであれば、どうするか」へと物語を進めて行く。
彼のあり方の問題は人の社会の平和にとって深刻なもので、現に芝居の中では「痛い」存在に成り下がって行くのだが、運命は彼らの破綻をつくろい、掬い上げて行くかのようで、芝居の大半で見せられる醜さ、痛さに比して最後は美しい。がその美しさも、痛々しさを孕む。人は痛々しくも生きて行く・・そんな余韻もあるが、解釈次第かも知れない。
「行動」を記す蓬莱戯曲のストイックさ、その流儀じたいがテーマとして芝居の世界に重なったような、面白い出し物だった。
満天の星が見える空の下での暮らしの空気も、よく出ていた。
的確に演じる役者の力は言うまでもなし。
2016/10/22 03:11
「自分が他者に及ぼす影響力を知らない「甘い」主人公」。
無自覚な優しさほど人を傷つけることになるんですよね。
でも無自覚だから非難している理由がわからない。
同じような経験があるからわかります。
自分はどうしても主人公の三島に感情移入してしまいますね。