あしたのジョー 公演情報 劇団め組「あしたのジョー」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    め組…あしたのために(その1) アッパーカットをくらったようだ
    絵(画)を鑑賞する時、その美術館そのものを見るように、本公演も原作(画)を描く劇場・舞台という環境も気になる。そして場内に入った途端、舞台美術の意味するところが直ぐ分かる。四角いコンクリート状、その無駄を一切省いたシンプルな造作、この作りしかないと思えるもの。そして明転して現れたシーン...そこに立つ主人公にしてライバルである矢吹ジョー(新宮乙矢サン)、力石徹(藤原習作サン)の削ぎ落とし鍛え上げられた肉体が、この舞台に映える。
    1960年代末から1970年代、スポーツマンガの金字塔で、戦後日本マンガの代表的な一作と言われている。それは、「マンガを卒業できない大人たち」を魅了し、多くの社会的影響も与えた。
    その舞台化は、登場人物の外見を含めた人物造形が見事に出来上がっており、今の日本への問いかけが...。

    ネタバレBOX

    公演チラシには、「ほんの瞬間にせよ。眩しいほど真っ赤に燃え上がるんだ。そしてあとは真っ白な灰が残る」という名ゼリフが書かれている。

    公演の梗概...天涯孤独の流れ者・矢吹ジョーがドヤ街と呼ばれる東京の下町に現れ、アル中で元拳闘ジムの会長・丹下段平(渡辺城太郎サン)にボクサーとしての天性を見出される。始めは期待を裏切り犯罪に手を染め少年院送りになる。そこで宿命のライバル・力石徹に出会い、本格的にボクサーを目指すことになる。その後、紆余曲折を経てプロテストにも合格した。そして念願の力石との試合は実現したが、試合直後、力石は死亡する。ここまでがこの公演のあらすじ。マンガではこの後、力石との試合がトラウマになるが再生し、世界チャンピオンと対戦し、衝撃なラストシーンが...。

    先に書いたチラシの名ゼリフは、ひとつの画像を思い浮かべる。丸椅子に腰掛け、どこか満足げな微笑みを浮かべたまま眠っているかのようなジョー。真っ白な灰のせりふは、世界タイトルマッチ試合終了直後のジョーのモノローグでラストシーンにはせりふがない。しかし、燃え尽きたという言葉のイメージと、スミベタなしで白っぽく描かれた姿が印象的である。本公演はこの真っ白になる途中...力石との対戦で終わっている。

    中途半端で、くすぶった満足感ではない。ボッと魂が燃えて、それが尽きて「まっ白な灰になる」ため。四角いリングに立てば対戦相手がいるが自分との戦い。段平の「あしたのために(その8)」だっただろうか、リング内は孤独。このリングは社会(コンクリートジャングル)でもある。必死に生きるという姿が重なるかもしれない。そしてリング外、下町・ドヤ街の底辺に暮らしている人々の人情が心にしみる。そして公演序盤...ジョーの吹く夢は、この街に病院、老人ホーム、働く場所をつくる事。

    社会的な影響としては、実際、力石の葬儀やよど号ハイジャック事件の犯行声明「われわれは明日のジョーである」ことも話題になった。
    閉塞感ある社会に自らの足で立ち、道を切り拓く...時代は変遷しても志を持つことはいつの時代も変わらない、というメッセージであろうか。

    この話題性に富んだ舞台は、矢吹・力石・丹下の3人が、まるでマンガから飛び出してきたかと思うような人物を作り出していた。もちろんボクシングの試合、そのスピードと鬼気迫る演技は圧巻もの。マンガにはない臨場感(照明と音響効果が凄い。またテーマソングがもの悲しい))溢れるもの。もっともマンガはコマ余白に読者の想像力が働くが、芝居はすべて視覚に捉えてしまう。ちなみに同名映画(2011年公開)も鑑賞したが、映像という遠・近がリアルに映し出される。特に映像アップによる表情が細密に見ることができる。今回の公演で、マンガ・芝居・映画のそれぞれの特長を知ることができた。

    出来れば、世界タイトルマッチまでの続編が見たくなるような...。
    次回公演を楽しみにしております。

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    2016/05/26 07:13

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