クノセカイ 公演情報 劇団普通「クノセカイ」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★

    初、劇団普通。
    日本のラジオ・屋代秀樹氏のweb公開戯曲を取り上げ、「劇団普通」流演出を試みたという事のようだ。御徒町駅から徒歩10分ほどの木の門扉と庭のある日本家屋の二間を使い、観客は奥の間から庭の見える居間をステージとして眺める形。木造建築の中で演じられるイタリアのマフィアの話は、天然照明、音響無しで二時間弱、静かに、地道に場を重ね、ラストへと辿り着いた。「日本のラジオ」を二度ばかり観て、言葉少なく行間を読ませる映画的なタッチと、適度な「暗さ」が好感触だったが、本戯曲は変わり種。何しろイタリア人の名前を呼び合う。ジーナ、サルバトーレ、その中にファウストとクラウディア(ドイツ名)が出て来て、これは内容に絡むが、入り組んだ人間関係が、主に二つの時代を行き来する場面の積み重ねの末に、見えてくる。
     ただ、興味深いものはあった一方、それ以上踏み込もうという気を殺がれたのは、この近距離で(外からの雑音もあったが)台詞が聞こえないこと。極端な場合は「口パク」に等しい。的確な演技が為されていれば、声が聞き取れなくても抑揚や表情等でどうにかニュアンスを汲み取れる事もあるし、逆に効果的な場合もあるだろうが、実力あっての話。役者の半数が「超・小声」を駆使していたが、これが効果につながっていた役者は一名、他は小声と大きな声を使い分けて緩急があったが、気になった2名は終始小声で、しかも耳をそばだてて聞けば演技が必ずしも正確でなく、台詞もろとも沼の中である。
     それはあたかも地声を聞かれて人物像が壊れてしまうより、台詞を犠牲にしても「雰囲気」を維持するのが得策だと、演出なのか本人かが判断して、やっちまったかのようで。
    そういう立ち姿じたいが、役のイメージ以前に俳優の心構えが問われるような問題になりかねず(誤解だとしても)、「聞こえない台詞」だらけにした演出意図は全く理解ができなかった。
     短いコマを重ねて縺れたヒモをほどいて行く謎解き型の戯曲の、種明かしの面白さが、全体としては見えてきたので難を逃れたという事だろうと思うが、俳優の努力が「声量」一つで泡に帰しかねない(私の中ではもう帰してしまったが)事例は、中々ないと言えばない経験だ。貴重な・・という事で。
     客の動員に難点があるものの、日本家屋で打たれる芝居の趣きは代え難い。過去観劇した三公演が思い浮かぶが、どれも良かった。今回も何はともあれ「場所」が良い後味を残した。

    0

    2016/05/15 04:59

    0

    0

このページのQRコードです。

拡大