サミュエル・ベケット「芝居」フェスティバル 公演情報 die pratze「サミュエル・ベケット「芝居」フェスティバル」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★

    見巧者向けの公演か...
    サミュエル・ベケットの作品を東京、名古屋、台湾の8団体が、それぞれ演出する趣向である。自分は、名古屋の双身機関、台湾のTAL(Theatre Actors Lab)の上演を観た(上演順)。
    同じ脚本であっても、演出の違いで印象も異なる。改めて演劇という創作の幅広さと奥深さを感じるもの。

    一方、観ること...そこには演出という手法と同時に、それを理解する上で大事な要素があることも痛感した。

    ネタバレBOX

    脚本...真っ暗な舞台に3つの巨大な壺があり、そこから3人の人物の首が出ている3人(男、女1・女2)は、スポットライトが当たるたびに、3人の間で起こった色恋沙汰を語っていく。そこに「真実」があるかどうかは誰も分からず、ただひたすらに、終わることなく3人は喋りつづける。そぅ、各人は対話をするというより勝手に自分の主張を言い張る。

    ●名古屋の双身機関
    双身機関は、脚本にほぼ忠実に演じる。壺は、円柱のように縦長く布を垂らすことでイメージさせ、下の方を紗幕(レース)にして足が透けて見えるようにしている。もちろん足を演じる役者は足だけを演じている。

    ●TAL
    壺その物を使っていない。各々がスーツケースを持って登場し、その中に自らの着ている衣装を脱いで収める。次いで役者が舞台を回り始め、さながら轆轤で壺を作り上げるようだ。まさに身体・動作で壺をイメージさせる。その後、各々は立ち止まるり、片足立ちを続ける。長い時間のため浮かしていた足が床に着くが、そこに壺の歪みと人間臭さが表れる。

    当日は、アフタートークがあり難度の高い作品に挑戦していることと、仮面について話があった。この作品を観て、壺という外形は一種の仮面のようでもある。人間..肉体と意思を持つ人と、それを取り巻く世界の境界にあるのが仮面であり、その具象したのが壺のようでもある。だから物語の登場人物は壺(仮面)に隠れ、、それぞれが思いのたけを話ことで、自分と仮面(=他者)という両方の力を併せ持つ存在になろうとする。そこに、肉体・精神、自己と他者という二重に意味で「人間」が存在するのではないだろうか。

    さて台湾・TALは、母国語で表現する。演じる内容はイメージ的に理解可能であるが、やはり言語(台詞)による理解は必要である。演劇は、五感の総合芸術であることを改めて認識した。
    そこには日本語で理解した日本語でのものの見方と、外国語で理解した外国語でのものの見方では、同じ概念を示すはずの言葉が、言語によって意味が異なり世界の捉え方が異なる可能性があるから…。難しい!

    次回、このような企画を楽しみにしております。

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    2016/05/04 12:53

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