演劇に抽象は可能か
仮に、カゲヤマの演劇言語の成立は彼による俳優訓練のある判断と不可分であるとして、にもかかわらず、その成立までのプロセスには一度、戯曲というまだ発話されていない言葉の状態を持つ。この、演劇一般が抱えるはずの(そして、どうしてか顕在化することがあまりにも少ない)ごく素朴な不思議を体感するに、蜂巣演出はとても期待が持てる。
京都での試演会で、蜂巣演出をみた。そのとき女優は、一見して上演と無関係なショッピングセンターのうたを鼻歌っていた。鼻歌はか細くしかし遠くまで彼女を連れていく。そういう風に戯曲を、あるいは戯曲以前の声が鳴っているのを聞くのが僕は好きだ。楽しみにしている。