ヴァギナ・デンタータ 公演情報 芸術集団れんこんきすた「ヴァギナ・デンタータ」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    芸術集団れんこんきすた Vol.23『ヴァギナ・デンタータ』

    ご案内を頂いた時、美佐さんも人前では口には出来ない衝撃的なタイトルで、登場人物たちも声に出来ない悩みと傷を持っていて、それは、観て頂くお客様にも同じ思いを持ってもらえると思いますという事をおっしゃっていました。

    タイトルだけ観ると、衝撃的なこの舞台を観ようと思ったのは、前出の内容の言葉とぜひその思いを同じ空間で共有して頂きたいという一言でした。

    観に行って、美佐さんの言っていた意味が痛いくらいに解りました。

    この舞台は、女性が誰しも一度は感じたり、悩み、感じ、思うであろう痛みと傷が皮膚を通して、水がじわじわと静かに染み込むように心の底深く、体の奥深くに染み通ってくる。

    生々しいと言えばあまりにも生々しい、自らの意識と心の奥深くに隠して、蓋をして、見ないように、気づいているのに気づかない振りをし続けて来た、女の体と心の痛みと傷を赤裸々に描いている。

    けれど、嫌悪感を微塵も感じずに、目の前にいる6人の女性の痛みと傷に自分を重ね、時に同化し、時に共感し、時に痛みを感じて、気づけば自身の痛みやトラウマから負った傷に向かい合い、泣いた。

    舞台は、出入り口もドアもないとある一室。そこに縁も所縁もなく、何処をどうして、いつ此処に来たかも分からない、年齢も職業も性格も全く違う6人の女。

    唯一の共通点は、声に出せない、赤の他人以外には話すことの出来ない傷と痛みを持っているということ。

    この部屋を出る方法はただひとつ。それぞれが抱える痛みと傷に向き合い、受け入れること。その事に気づいた時、女たちは誰にも話せずにいた傷と痛みを自ら話始めたその先にあるものは一体何だったのか?

    その答えは、観て感じた一人一人各々違い、胸の中に見出だすものだろう。

    正解はない。あるのはあくまでも、自分が感じ、思い、掴み取った各々にとっての正解である。それすらも、何年後かに鑑みた時に、また違う答えが出るのかもしれない。

    木村美佐さんの女3は、付き合う男が悉く浮気をした挙げ句、「体が緩いから浮気した」と別れて行くことに、慣れっこになっててと言いながら、その事に深く傷き、痛みを感じていたこと認め、受け入れて行くまでの心情が伝わって来て切ない。

    個人的に、まるで、その当時の自分と同じ悩み、不安、痛みを感じている岩畑里沙さんの女2は、一番共感出来、同化し、皮膚を通してその痛みが伝わって来た。

    32歳位だろうか、男性と付き合ったことがない女優の女2は、このまま一生自分を抱き締めてくれる人も、愛してくれる人にも出会えず、身も心も交えることなく朽ち果て、死んで行くのかと悩み苦しむ女の姿は、実は32歳の時の私の姿そのものだった。

    それまで、私も女2と同じ不安と悩みの中にいた。その痛みと孤独は、同じ思いをした女にしか解らないだろう。その痛みを思ったた時、涙が溢れた。

    小松崎めぐみさんの女1は、匂わせはするが、はっきりとその傷と悩みとは何のなのか描かれてはいない。けれど、女たちの中で一番深い、傷と痛みを負っているのではないかと、最後の慟哭を聞いて、きりきりと胸に迫り、泣いた。

    でも、もしかしたら、一番深く濃く、絶望的な痛みと傷を負っていたのは、濱野和貴さんの女たちの部屋の花を取り替えに出て来る男だったのではないかとふと思う。

    男の人が書いたら、生々し過ぎて生臭くなったり、嫌悪感と違和感なくは観られなかったと思う。

    女性が、描いた舞台だから共感し、嫌悪感なく違和感なく受け入れられ、自分の痛みと傷と向き合い、感じ、泣き、観終わったあと、不思議にさっぱりとして内から力が沸き上がり、時の流に何時しか自分のトラウマや古傷や痛みが瘡蓋になり、剥がれ、苦しさを感じずに静かに見つめられるくらいに、少し強くなっていた自分に気づいた舞台だった。


    文:麻美 雪

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    2015/12/06 10:25

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