エトランゼ 公演情報 劇団桟敷童子「エトランゼ」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    故郷を捨てた者の、望郷の念が溢れ出た舞台
    さすが桟敷童子、面白い。
    観て損はない。

    ネタバレBOX

    オープニングには驚かされた。
    井戸から大手忍さん演じる杏がいきなり現れたと思ったら、池下重大さんが演じる千春とともに井戸に飲み込まれた。
    大きな水しぶきとともに。
    そして手前の書き割りが左右に開いて、舞台の上に現れたのは、大きな池(湖)!
    その池から2人が水面に浮かび上がってくる。

    会場の「すみだパークスタジオ倉」の舞台のサイズは、たぶん横12、3m、奥行き7、8mぐらいではなかろうか。
    その中の4分の3ぐらいが、本水を張った池なのだ。
    こんなセットは初めて観た。
    そして、舞台の上で本当に人が泳ぐのを初めて観たのだ。

    天井から水が勢い良く流れ出し池の四方からも水が噴き出す。
    いきなりのスペクタクルである。

    毎回、桟敷童子の舞台にはスペクタクルがある。
    感情が溢れるラストシーンにそれは多く、一見外連味のように見えるのだが、そうではない。
    舞台装置やセットとともに物語を語っているのだ。
    今回はオープニングにそれがきた。

    昭和50年代の九州地方の田舎が舞台となる。
    いつもの桟敷童子がお得意の戦後・昭和の時代設定だ。

    山の幸を採ることで生計を立て、山を信仰の対象としている集落。
    山に湖が現れるときに、余所者がやって来て、集落に災いをもたらすという言い伝えがある。

    以前の桟敷童子であったら、30年前の出来事を絡めて、もっとドロドロした人間模様を描いていたと思うのだが、今回は少しだけ異なっていた。
    それは、観客にとって、今回の作品自体が、近しい存在になっていたからではないだろうか。

    妻と子どもを置いて出て行った、池下重大さんが演じる千春、そして山主の長男であったが、家を出て音不通になり、骨になって妻(もりちえさん)の手によって帰ってきた男。
    彼らは、故郷を離れ、都会に出ていた者たちの姿、あるいは想いなのではないだろうか。

    作・演出の東憲司さんは、九州の出身(作は正確には、サジギドウジとクレジットされているが)。
    彼が作った、ほとんどの舞台の上では九州の方言が話される。
    標準語は都会の言葉となる。

    彼が戯曲を書いているときには、自分が暮らした昭和の九州が頭にあるのではないだろうか。
    彼の頭の中、イメージの中にある故郷は、昭和のままで止まっていて、集落は信仰や生活や人間関係が絡まっている。
    時には、それらがそこに暮らす者たちをかんじがらめにしていたりする。

    そんな故郷は、実際にはもうない。イメージの中だけにある。

    タイトルの「エトランゼ」は、異邦人、見知らぬ人という意味のフランス語。
    あえて日本語のタイトルにしなかったところにも、故郷を離れた者の中に湧き起こる、違和感を感じさせる。

    故郷を捨てた者は、もうその場所の住民ではない。
    だから、そこには「異邦人」となって戻るしかないのだ。

    死を間近にした千春と、死んでも戻りたかった山主の長男の、捨てたはずの故郷への強い気持ちは、ほかの故郷を捨てた者たちと同じだろう。
    彼らにとって、今やイメージの中だけになってしまった故郷は、いつかは帰りたいと願う場所であり、心のアンカー、最後の心の拠り所になっているのではないだろうか。

    この作品は、そんな東さんの想いであり、そのことによって、故郷を捨ててきた者の気持ちをトレースしているのではないだろうか。

    舞台の上では、山の中に幻の湖が出来る。
    それは、故郷を捨てた者の胸に、あるときふいに湧いてきてしまう望郷の念のことではないだろうか。
    溢れて溢れて、大きな湖になってしまうようなモノだ。
    だから望郷の念の湖が現れたときに、かつてそこに暮らした彼らが、「異邦人」となって現れるのだ。

    この舞台では、故郷を訪れた千春はまた去り、長男の嫁も去る。
    骨になった長男だけが、残ることができる。
    つまり、故郷を捨てた者が、故郷に帰ることができるのは、魂だけだ、というラストではなかったのか。
    故郷はイメージの中にしかないから。

    作・演出の東憲司さんは、戯曲を書くたびに、そうした自らの胸に湧き出る水(故郷への想い)を綴っているのかもしれない。

    今回の作品は、いつもに増して群像劇の印象が強い。
    軸になるような主人公的な、絶対的なキャラクターを立てていなかったようだ。
    と言うより、登場人物1人ひとりの書き込みが丁寧で深さがある。
    台詞が、物語を進めるためにあるのではなく、自分を、そして他者を語っている。
    つまり、それぞれのキャラクター設定と台詞が自分自身を立たせるだけでなく、周囲の登場人物を立たせる役割がきちんとしている。

    笑いも結構ある。いい感じの笑いだ。
    集落の人たちの関係がとてもいいことを示しているようだ。
    そこには、反目し合う村人たちという図式はなく、板垣桃子さん演じる志乃を、みんなで助けようとしたりする。

    敵役は、もりちえさん演じる奈緒美だ。
    彼女は、結構恐い。
    数を数えるところや「家族のように暮らしていた」に、洗脳を思わせる。
    なかなかの迫力だ。
    ラストのずぶ濡れのシーンも、彼女が大きく見える。
    そして、すべてが終わったあとの彼女の表情が素晴らしい。
    そこまでのキツさが一気に解けたような表情を湖の中で見せる。

    山の神官のような神業師を演じた外山博美さんも、変に笑いに走らせることなく(笑いのシーンは多いが、笑わせるようとしすぎない)、ちょっと達観しているところと、下世話さがいい塩梅にミックスされていたと思う。それは、脇の役だが台詞の量がそれなりにあることから、彼女を描け、演じることができたからではないだろうか。
    山母兵糧師のリーダー・秀代を演じた山本あさみさんは、落ち着きがあり、懐の深さを感じさせる女性をうまく演じていた。
    山主を演じた原口健太郎さんも、いつもの感じで手堅くいい味。
    チカを演じた新井結香さんの、不思議ちゃんから、ラストにかけてのほぐれ具合もいい。

    今回も客入れのときに劇団員総出のスタッフワーク、ラストのお見送りまで、手抜きなしのホスピタリティが素晴らしい。

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    2015/08/23 06:53

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