外交官〈前売券完売/当日券若干枚あり〉 公演情報 劇団青年座「外交官〈前売券完売/当日券若干枚あり〉」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    史実を再構成する面白さ
    青年座で野木萌葱作品を初観劇。歴史モノを割と書く人か・・。満州事変から日米開戦・敗戦までの日本の「悪行」の立役者たちを、東京裁判の被告席に並んだ面々に見ることができるが(小林正樹監督「東京裁判」参照)、その中の重光、東郷、広田、松岡ら、外交部門を担った外務大臣と、それを取り巻く外務官僚がこの芝居の登場人物だ。かの戦犯法廷の開廷前夜、一つ所に集い、「破滅」への道のりを決定づけた幾つかの節目を振り返り、証言し、議論する。そこに流れているのは「外交官」というアイデンティティと誇りであり、それゆえに成り立つ真剣で熱い議論が、綴られている。
     実在した彼らが、主観的に「国を憂い」「最善を尽そうとした」かどうかはともかく、「外交官」の視点を一本貫く事で、15年戦争史が(一般的な記述と大きく異なる訳ではないが)独自の記述で構成され直す、ユニークさがあった。会合を行なっている「現在」のシーンと、話題になった過去の回想場面が交互にある。
     「外交官ならばどうあらねばならなかったか」という問いは、今の日本の「国を売る」(事によって米国の傘を得る)外交のあり方の異様さを浮き彫りにする要素を持つものだ。
     ただ、焦点の当てられる史実について、一通り知っておかないと、どの登場人物が、何に、どう関わったかを台詞を追って把握して行く作業が大変だ。人物を特徴づけて名前と顔を一致させる配慮は、戯曲を書く上で念頭にあるべき要素だと思うが、作者は上に挙げた人物くらいは皆知っている、という前提で書かれたかと思われる。私は後半で人物が判別できるようになったが、それで前半と繋がるかと言うとそうはならず、ぼやけたまま。それゆえか、どうしても70年前の歴史の「内部」に生起し終息した出来事に見えてしまい、「現在」に反射して来るようではなかったのが惜しいと思った。受け取る側の感性次第かも知れないが。。
     史実としては柳条湖事件(満州事変)〜リットン調査団、国連脱退、日独伊防共協定、日華事変、ハルノート〜日米開戦までが扱われ、最後に一人の重鎮に「国民への責任」を吐露させ、戦争終結を送らせた事による非戦闘員数十万の死(沖縄戦、空襲、新型爆弾)を仄めかした。
     中盤、鋭い対立のシーンがある。在外領事館で外務省生え抜きの官吏が辞令を受けた直後、新たに赴任する軍出身の官僚がやって来てかち合い、火花を散らせる場面だが、こういう判り易い場面がもっと序盤にあると良かったかも。
     国のリーダー的存在に見える風貌はさすがに青年座の人材という気がしたが、その功罪はネタバレにて。

    ネタバレBOX

    しゅっと背広が決まって、国家の命運を委ねられ、人を惹き付けるものを持つ人達が「形」としては見える。もっとも、「しゅっと」決まってる美的感覚は「現代」な気がする。まァそれは置くとしても、「決まってない」人達がぐずぐずと「流れ」に逆らえずに物事を決めた結果ゆえにやりきれなく憤懣の持って行きどころのないのがあの戦争だったりする。外交官の誇りも何もあったもんじゃなかった実態を露呈するのも、フィクションとして有り得た展開。だがこの戯曲は「誇り」を保とうと足掻く外交官を描く事を選択した。それも有りだ。
     ただ、「しゅっと」した元官僚たちの演技の半分が「しゅっと」した格好良さを維持する事に払われているのか、内面が見えない。もっとも、そこを描き出そうという戯曲ではない。しかし、慚愧、忸怩、悔い、空元気、楽観、悲観、などの感情は、感情としてだけ出ていて、食って寝る動物である人間の体臭は消えている。裁判前夜の彼らの頭が「その事」で占められていて、だからこそああいう議論があの一夜だけやれた、とも言えようか。ただ極限状態では人物の本質が出る、という意味ではあそこに表出されたものが果たして彼らの本質だったのかには疑問が残る。会合の目的は裁判に対して「理論武装」する事にあったのだろうから、本質が暴かれなくても良い訳であるが。 ただそれだと、物語として大きな動きは出ない。史実を一通り追った、という所で終わってしまう。「人物」から生じる意外性がドラマである。人物の描き分けは少しは為されていたが戯曲の中には(台詞としては)あまり書かれていない。そこに「人物」を立ち上がらせるのは、やはり俳優で、書かれていない人物像を造形する仕事となると、今回の条件では難作業であったかという後味が残る。
    (この題材をこれだけ書き込んだ作品なので惜しい)

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    2015/08/11 09:27

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