絵のない絵本 公演情報 富士見市民文化会館キラリ☆ふじみ「絵のない絵本」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    とても良かった
    普段、演劇やダンスを見て良いとか悪いとか思う基準と違う部分で、とても良かった。短くうまく言葉にできない。ネタバレに詳しく書いています。
    とにかく良かった。

    ネタバレBOX

     そもそもダンスと言ってもかなり演劇に近い。二つの意味で。ひとつは、言葉は使わないにしても、イメージによる物語性があるということ(アンデルセンの本が元ネタだというのもあり)。もうひとつは、踊り手個々の身体性云々というよりも、集団で創り上げる空間演出に重きが置かれているということ。それは光の使い方なども含めて。
     そうやって、ある意味では演劇を見るように観ていくと、徐々に踊り手に意識が向かう。ただ、それが踊り自体の良し悪しというのとはちょっと次元が違う感覚なのだ。複数の踊り手が同じ振付で踊っているのだが、いや同じ振付だからこそ、全員の調和よりもそれぞれの踊り手の個性が際立ってくる。踊りの根っこの微妙な違いや身体的特徴(背の高低や体格の違いなど)も大きく作用して。どの人が上手いとか下手とかそういう次元ではなく、それぞれがそれぞれに魅力的に見えた。これはそういう個性的な踊り手を集めてそうなったのか、白神氏の演出によるものか、わららない。いずれにしても、それぞれがとても個性的なのだ。バラバラの個性が同じ舞台で、時に同じ振付で共存している。社会の写し画というか、あるべき人と人との共生の姿を見た。個性とは見せつけるように他者との差異を押し出すことではなく、衒うことなく調和しようとする中でも自然と顕れてきてしまうものなのだと思った。その点に圧倒された。そう思うと、アンデルセンの『絵のない絵本』は、お月様が見た世界各地の人びとの一夜の物語を集めたもの。一夜一夜にそれぞれの生が輝く。演出意図か偶然か、『絵のない絵本』のそれぞれの物語は、踊り手たちの存在と対応しているように見えた。色んな特徴・特性を持った人々が、優劣ではなく、その個性によってそれぞれの生を輝かせていると。これほどまでに題材とできあがった舞台がシンクロしている作品はそうない。
     どこまでが白神氏の意図なのかはわからない。私が過剰にそう受け止めているだけかもしれない。そうは言っても、衣裳も全員が似たトーンの服でありながら、よく見ると、一人一人まったく違う服なのだ。そういう細部も含めて、私が感じたようなディレクションが、意識か無意識かはおくとしても、働いた結果の舞台のような気がする。舞台美術も照明も良かった。

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    2015/06/05 00:27

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