ドラえもん「のび太とアニマル惑星」 公演情報 サードステージ「ドラえもん「のび太とアニマル惑星」」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★

    立ち止まれない流れ
    とにかく、楽しい舞台だった。あまりに楽しすぎて、時間を忘れた。そして、観終わったいま、楽しさしか、残っていないことに気づいた。

    ドラえもんって、こんなに、気が狂いそうなくらいに「楽しい」だけの作品だったっけ?

    ネタバレBOX

    ドラえもんが、舞台になる。とにかく、どのように舞台化するのか、鴻上さんの演出に注目が集まる。そして、結果、演出としては、満点だった。

    とにかく、楽しい。タケコプターひとつとっても、ワイヤーで本当に飛んでみたり、不気味なほどにそっくりの、自分の飛んでいる人形がくっついている棒を、各自が持って飛ばしてみたり。空気砲も、でんじろう先生が良くやっている、段ボールで出来た、たたくことで煙のボールを打ち出すものを持ち出したり。実に多彩。次は、どんな演出が飛び出すのか、それだけを楽しむだけで、お腹いっぱい。鴻上演出の集大成が、ここにはある。

    ダンスと音楽が随所に盛り込まれて、まるでミュージカル。最後の歌では、ついついこちらも手拍子。僕の席のまわりは大人ばかりだったのだけれど、いつの間にか、最初は腕組みしていたスーツ姿のおじさんたちも、一緒に、ぎこちなくだけど、笑顔で手拍子していて、嬉しくなった。本当に楽しい舞台だった。

    でも、なんだか、不思議と疑問が残る。これでいいのだろうか。なんだか、子供向けの作品は、楽しければいいと考えられているみたいな気がする。この舞台、「楽しさ」以外のものが存在しないのだ。

    原作の「アニマル惑星」では、「敵」である「悪魔=二ムゲ」が、もっとしっかりと細かく描かれていた。だからこそ、実は「二ムゲ」が、惑星を科学で滅ぼした人間だったということが、重みを持って明かされたとき、とても怖い思いがしたのだった。原作のラスト、捕まった二ムゲのリーダーがマスクを取って、支配がかなわなかった、憧れのアニマル惑星の風をうけて、「いい風だ……」とつぶやく。こういう「細部」こそが、感想を生んだ。

    ところが、舞台版は、こうした、物語の細部を、ことごとく省略する。物語の細部は、演出の細部によって、取って代わられてしまっているのだ。すると、残る物語は、非常に淡白で薄っぺらいものになってしまう。

    これは、もしかすると、鴻上作品の本質かもしれない。軽快な演出をベースにした大きな流れが、物語を飲み込んで、全てを、狂躁的な楽しさが支配する。だが、ともすれば、情報の生み出す「大きな流れ」が全てを押し流してしまう現代にあっては、楽しさだけに向かって走るという方法は、危険であるだろう。

    前回の鴻上作品『グローブジャングル』では、走り出しても、その都度、きちんと立ち止まって、足下を確かめていたと思うのだけれど、今回は、楽しさという流れを疑う様子は全くない。それは、もしかすると、「子供向け」への甘えかもしれない。

    現在鴻上さんは、虚構の劇団で、若い俳優たちに、舞台の「楽しさ」を徹底的に教え込んでいるところ。僕は、とても楽しそうに演劇をする彼らのファン。でも、今回の舞台にも出ていた彼らは、「楽しさ」が前に出過ぎて、みな同じ笑顔。みんなが同じ人のようにも観えて、そこには、確かに、意図されていない、怖さすらあった。

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    2008/09/10 02:51

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