満足度★★★
観ても戦争詩執筆の理由は分からず。/約120分
こまばアゴラ劇場ウェブページの公演案内には「戦争詩人としての高村光太郎を描く、平田オリザ90年代初期の名作。」とあるのに、戦争詩人としての側面はほとんどフィーチャーされておらず、肩透かしを食らった気分。
当日パンフによれば、1984年の初演に向け若き日の作・演出家は詩人が戦争の詩を書く理由を一生懸命考えながら本作の初演版を書いたそうだが、私もなぜ高村が戦意を煽り、お国のための殉死をも讃えるような一連の「愛国詩」を書いたのかが気になって、答えを知りたくて鑑賞。
ところが蓋を開けてみれば、高村がどんな思いで戦争詩を書いていたかが“ほの見える”場面が二、三あるのみで、そのような詩を書いた理由はついぞ分からずじまい。
理由が分かるものと早合点して観劇した私も私だが、公演案内に上のような文句があればこのような誤解をするのも無理からぬこと。
「戦争詩人としての~」から始まる公演案内の文章は、私のような迂闊者をこれ以上出さないためにも改められるべきだろう。
まあ愚痴はこのぐらいにして、観劇して何よりも驚いたのは、実在の人物を扱った本作までがいかにも評伝劇然とした厳めしい作風を採らず、あくまでも青年団的方法、今で言う“駄弁芝居”のスタイルで作られていること。
高村光太郎宅を舞台とし、そこに住む者と来客とによる無駄話から劇のほとんどが成っているのだ。
ただ、その種の劇としてはくだらなさがまだまだ足りず、宮沢章夫、関村俊介、玉田真也ら駄弁芝居の名手たちの作品には遠く及ばない印象。
私の観た回はかなりウケが良く、随所で笑いが起きていたが、私は過剰なダジャレ押しに困惑するばかりで、一度も頬を緩めることなく劇場を後に…。
『智恵子抄』に見られる純粋で脆い智恵子像を繊細な演技で体現した能島瑞穂さんの妙演に支えられ、光太郎・智恵子夫妻を描いた劇としては良く出来ていた。