母に欲す 公演情報 パルコ・プロデュース「母に欲す」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    作・演出の三浦大輔さんの、外連味、演劇へのスケベ心の放出
    「不在」の「穴」は埋めることができない。
    それを抱えて生きるしかない。

    ネタバレBOX

    銀杏BOYZの峯田和伸さん、田口トモロヲさんの出演に、大友良英さんが音楽を担当、というロックな布陣に、三浦大輔さんの作・演が気になって劇場に足を運んだ。

    体たらくな毎日を送っている兄・裕一は、電話にも出ずに母の死を知らなかった。
    友人が携帯に残したメッセージで初めてそれを知り、家に帰る。
    葬式に長男がいなかったことをなじる弟・隆司。
    仕事も手につかないほどに、嘆く父。
    しかし、四十九日が過ぎ、父親が女を家に連れて来て、住まわせ始める。
    そんなストーリー。

    冒頭、むさ苦しく、暑苦しいアパートの一室で、電話の呼び出し音が鳴り響く。
    テレビは付けっぱなし。
    ベッドには半ケツ出した男が寝ている。
    携帯も鳴り始め、ようやく男はゆっくりとベッドから出て、冷蔵庫の水を飲む。
    そして、携帯の着信を確かめる。
    その間、台詞なしで、電話の呼び出し音、携帯の着信音、付けっぱなしのテレビの音が小さく聞こえているだけ。
    ゆっくり起き上がり、夢の中にいるようなスローペースで動く男に観客の視線は集中する。

    このシーンは正直、凄いと思った。
    「ベッドから男が起き上がる」だけのシーンを延々時間をかけて見せているだけなのに、とてつもない緊張感がある。
    観客は固唾を飲んで見ているだけ。

    全体のストーリーもそれほど複雑ではない。
    しかし、このように、実に丁寧に、登場人物の内面までが見えるように、じっくりと1つひとつを見せていく。

    時間があることをとても有意義に使い切っていると思った。
    (休憩時間に「最初のシーンを見て、これだから3時間超えるのね」みたいなことを言っていた人がいたが、まさにその通りだと思って、思わず笑ってしまった)

    銀杏BOYZのボーカル・峯田和伸さんが演じる兄の姿には既視感があった。
    友人の1人に似ているのだ。
    姿形ではなく、その佇まいが。
    大学を中退して、家には帰らず、好き勝手なことをして過ごし、毎日は自堕落そのものと言える生活を送っている。
    自分では理想に目指していると言っているが、それだったら何かしろよ、と周囲の人々は言う。
    真面目に働いている弟がいて、弟から時折非難もされるが、兄弟仲はいい、そんな男だ。
    私も人のことは言えない兄なのだが……。

    私の友人は東北の出身で、方言ではなく、イントネーションの訛りがある。
    その独特の一本調子の話し方、人の目を見て話せない様子、目自体がよく見えないボサボサの髪型、まさに劇中の兄と重なる。

    劇中の一家の地元は、新潟かそのあたりではないだろうか。
    新宿から高速バスで5時間ぐらいと言っていたし、方言というよりは、訛りがある標準語という印象で、どこか都会に近い場所。イオンではなく、でかいイトーヨーカドーがあるような町。

    実母が亡くなって、葬儀に来なかった兄を弟はなじるのだが、「この気持ちを共有できるのは兄ちゃんしかいないと思っていた」と吐露するところで、兄と弟の関係が見えてくる。
    一方的に非難するだけでない、そういうリアルな肉親の関係が見えて来るところが上手い。

    実母が亡くなって、父親が飲み屋にいたらしい女を連れて来る。
    もちろん、兄弟は反発をする。
    その反発の仕方が、子どものようで笑ってしまう。
    怒りがあったとしても、母がいないという現実に、寒々しい隙間風が吹いているような家庭に女性が居るということに、何か安堵を覚えてしまったので、強い口調で反発をしないのだろう。
    この感覚がのちの彼らの行動にもつながっていく。

    普通に考えて、四十九日が過ぎたからと言って、突然死した妻に代わる女性をいきなり連れてくるということは、あり得ないのだが、そこはストーリー的には譲るしかないので、そう見た。

    (母となり得る)「別の女性」(兄の友人が「ニュー母ちゃん」と呼んでいたのには笑ったが)がやってくることで、「母の不在」が急に大きくなり、自分たちと母との「距離感」だったり、「依存感」だったり、「想い」が見えてきてしまう。
    生きていたときには、「そこにいることが当たり前」すぎて見えなかったことが見えてきたり、そばにいるからこその面倒臭さなどは、「いなくなって」しまうことで、「甘い思い出」に姿を変えたりしてしまう。
    死んでしまった者は何もしないが、残った者がいなくなった者に対しての感情を変化させるのだ。

    父、兄弟たちの目には、新しい妻・母の姿は、「失ってしまった妻や母」の姿(いい思い出だけの)にしか見えてこなくなってしまう。

    反発していた兄弟が新しい母を受け入れる気持ちになってきたときに、時間差で現れるのが、父の会社の同僚だ。
    「それはおかしい」と正論を振りかざし、もちろん、薄々は父も兄弟も感じていて、誰もが口にだなかったことを指摘されてしまう。
    正論だから反対はできない。

    この、時間差によるショックはなかなか面白い。
    全員が頭を殴られた感じではなかったか。

    そして、ラストにつながっていく。
    行き場を失った「母への想い」が、奇妙に捻れた方向に噴出する。
    母の残した留守番電話のメッセージに性的興奮を覚える兄、新しい妻になるはずだった女性らしき女が出ているビデオに興奮する父、そして、それまでは年齢にふさわしい若い女性の格好をしていた弟の恋人は、まるで母のような衣装で現れ、弟はそれを受け入れる。

    このラストは、普通に考えてあり得ないと思うのだが、作・演出の三浦大輔さんの、外連味、演劇へのスケベ心として、アリだと思う。
    「行き場を失った母への想い」の噴出先は、「あり得ない」ほどの方向しかにないのだから。

    父、兄弟たちは、「不在」を胸に抱えながら、次の1歩を踏み出した。
    それは今までの生活と変わりがないのだが、確実に「母」の分だけ、「穴」が空いてしまった。
    空いてしまった「穴」は何をもっても埋まることはない。
    それを抱えて生きるしかない、というラストだ。

    兄を演じた銀杏BOYZの峯田和伸さんは、とても存在感があった。
    彼の出身は山形らしい。普段どういうしゃべりをしているのかは知らないが、ボソボソとして独特の一本調子の訛りは、リアルだった。
    そこは演技ではないのかもしれないが、演技でない姿を見せることができるのは才能だと思う。
    ロックなカリスマ性ではなく、等身大さが良かったのだ。

    弟の池松壮亮さんもとても良かった。もう少しきつめの訛りと、兄との会話で、兄を慕っているし、信じているという、兄弟関係を、見事に演じて見せてくれた。さりげなくて上手い。

    音楽は、大友良英さん。劇中歌だけでなく、客入れのときの音楽もとても良かった。
    劇中歌のCDは買ってしまった。
    第一幕で歌い、休憩を挟むのだから、つい買ってしまうではないか。

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    2014/07/23 21:52

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