妹の歌 公演情報 ガレキの太鼓「妹の歌」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★

    人生が自分の思っていたとおりにコントロールではないのだから
    舞台も思いどおりにならないのかもしれない。
    「思いどおり」と言うのは、演じる側だけでなく、見る側にとってもなんだけど。
    だから、そのギャップが埋まらないと「もっと面白くなったと思う」と言ってしまう。
    泣きはしないけどね。

    ネタバレBOX

    高校生が、自分がかつて小学生だったときに仰ぎ見た、年上のお姉さんたちを題材にした小説を披露する。
    自分は、今、その「仰ぎ見ていたお姉さんたち」と同じ歳にいる。

    そういう視点が入るのかと思えば、そうでもなく、その小説から、作者である女子高生の「今」が浮かび上がるわけでもない。
    さらに、小説の中での女子高生の姿から、当時の、あるいは今の彼女たちの姿や、当人たちでは見ることのできなかった、人間関係などが見えてくるわけでもない。

    単に、当事者たちも忘れかけていた、「あの日の出来事」がふんわりと蘇るだけだ。あとは離婚への違和感と葛藤。
    もちろんそれも面白いアプローチだとは思うのだけど、長々と当時を題材とした小説を再現するのであれば、そうした視点が加わらないと、ただ、その小説を題材にしたリーディングの舞台を見ているようで、さらに深みが増していかない。

    後半の離婚についてのホワイトボードでのやり取りは、内容的には面白いのだが、小説や、彼女たちの過去の出来事との結び付きが見えてこない。

    それぞれの「今」について、これぐらいの掘り下げがあったとしたら、小説も、掘り下げ部分も活きてきたのではないだろうか。

    ホワイトボードを使うことの「意味」ももうひとつわからない。
    台詞のやり取りで見せたほうが、もっとスマートだったし、観客に届いたのではないだろうか。
    講義じゃないのだから。

    個人的に言えば、最後の暗転前にボードの上のほうに書いた赤い文字がよく読めなかった。
    斜めの角度から見ているのと、字が崩れすぎていたからだ。
    役者さんたちは、当然何が書いてあるのかを知っているとは思うが、読みににくい客席もある可能性があるのだから、翌日のシーンで読んでくれてもよかったのではないかと思う。
    (終演後、正面に行って見ようと思っていたが、結局忘れてしまい、わからずじまい・・・少しモヤモヤ・笑)

    今、30代になっている彼女たちが高校生になっているのを、本人だったり、別の役者だったりが演じる。
    それは演劇ではよくあることだが、その使い分けがうまくない。
    見ていて少し混乱してしまう。

    もっと意味を持たして使い分けてほしい。
    例えば、小説の中のフィクション部分とノンフィクション部分の使い分けなど、いくらでも方法はあっただろう。
    または、小学生のときの記憶を頼りに書いている小説なのだから、例えば、間宮についての記憶が香苗の出来事に混在していて、その混在ぶりを別の役者が演じるなど、いろいろ見せ方はあっただろうと思うのだ。

    今、高校生になっている道江は、かつて学校で何らかの問題を抱えていたらしい。
    だから、少し年上の彼女たちが、仲良く遊んでいる姿は、「年上のお姉さんたち」という以上に魅力的だったのだろう。
    その少し捻れた想いは、高校生になった今も、たぶん続いている。
    かつての大食いファイターズたちは、今は昔と違っている。
    それは当然だけど、それに戸惑う道江。

    特に何ごとも起こらず、台詞だけで楽しむ群像劇で、ストーリーの軸が道江の想い、あるいは感情であるのならば、もっと整理が必要だった気がする。
    そうした、台詞主体の作品として、ガレキの太鼓は面白いものを見せてくれるのだから、それぐらいの期待はしてしまう。

    小説のあたりはいい感じで、ここからぐっと何かが変化あるいは、持ち上がってくるのかと思っていたのに残念である。

    ラストに高校生の道江が、子どものように駄々をこねて(もうみんなに何も聞かないとか言って)、泣き出すのだが、あれば、幼すぎやしないだろうか。
    物語の終え方としてはわかるのだけど。

    されと小説を読むシーンで、ト書き的なものや、私(道江)の感じたことを、男性の役者が読むのだが、やはり、これは「私」、つまり道江が読んだほうがよかったのではないかと思う。
    他人に書いたものを読んでもらうという高いハードルを、さらに自分が読んでみせる、というぐらいに、彼女(道江)が大食いファイターズたちにどんなに強い気持ちがあったのかが、よりわかるように思えるのだ。
    自分の想いは、是非当人たちに聞いてほしいと思っているはずだから。
    (「声に出して読んでいいのよ」を繰り返すシーンには笑った)

    それの強い想いがあって、当人たち大食いファイターズが、いろいろな言葉や出来事をあまり覚えてなくて、さらに「今」があったりしたほうが、道江の中のギャップが高まったように思える。

    劇場は斜めに仕切ってあり、左右が長い舞台になっていた。
    しかし、その効果はあったのだろうか。
    前後に厚みがあったほうが、よかったように思える。
    特に、室内のシーンは、不自然に横に並んでいて、動きもほとんどなく、ホントにリーティング公演のようであった。
    ソファやイスを配置して、それぞれの席で小説を聞いていたり、お茶を飲んだり、といった動きもほしいところだ。
    下手から出て、あえて後ろを回る動線も、それほど活きてないように思ってしまった(同じ室内のはずなのに、出るときは下手から、戻ってくるときは上手から、という動きもあったりするし)。

    途中までは、くすくす笑ったりして、とても面白かったんだけどなあ。

    役者さんでは、万里紗さんの若さが強く出ているのと、工藤さやさんがなんかいい感じであった。前半は彼女が引っ張っていく感じがあったのだけど、後半はそうではないのが、すっきりしない。

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    2014/07/21 21:09

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