満足度★★★★
赤鬼は,演出もすごい。出演者の動きも機敏で気持ち良い。
青山円形劇場で,『赤鬼』(野田秀樹)を観た。これは,素晴らしかった。円形になっているので,反対側がはっきり視野にはいる。みんながみんな食い入るように,観劇している。たまたま初夏の疲れが出たため,自分は不覚にも最後の方で一瞬眠気に襲われたが,だれ一人そのような状況に陥ることはなかったようだ。
赤鬼は,演出もすごい。出演者の動きも機敏で気持ち良い。赤鬼プロジェクトというのがあって,本作品は,言葉の壁を越えて,国境を越えて大ヒットしたものらしい。西洋の文明が世界を覆い尽くすこと,それが「進歩」だと思う考えもあるだろう。しかし,赤鬼ロンドン公演では,日本語で,日本的なものが十分通じるという例を残した。
お話は,赤鬼と島の娘が心の交流があったというものが核になっている。赤鬼は,来島すると同時に,赤子をさらって洞窟に隠れる。なんとか説得し,子どもを奪還すると,島の重鎮はすぐに殺処分にすべきと主張する。老婆たちは,赤鬼を食せば,長生きできるかもしれない,と主張する始末だ。
島の娘は,赤鬼と手真似で交流を始める。次第に,会話が成立する。海の向こうの世界は,どうなっているのかしら。いつか,赤鬼からそのようなことも教えてもらえる。赤鬼は悪い人ではないだろう。しかし,娘がフカの肉であると無理やり食べて,元気になったものの,どうも赤鬼の肉であったことが発覚し,彼女はショックで自殺してしまう。
野田秀樹による,『赤鬼の挑戦:ロンドンへの道』2003の本を読んだ。日本語の芝居を,イギリス人の俳優と行うことになる。なにも,西洋文明が,世界を覆い尽くすのが進歩とはいえない。西洋社会がいつもわれわれの先をいっているのだろうか。治外法権や,関税自主権はなんとか欧米に改善させたが,そこに文化的不平等は執拗に残ったのだ。
「肉体と詩の交点に芝居は生まれる」同じ演劇観を求めて,仲間をさがす。『赤鬼』そのものは,ロンドン留学から戻った1996年に,富田靖子,段田安則と,アンガス・バーネットと日本で上演された。1998年夏に,ロンドンで,『赤鬼』のためにワークショップを始める。「誇張と省略で演劇空間を作る。リアリズムではない。」と説明した。
自分の台本には,コトバ遊びが多い。上演には翻訳はつきものだが,日本で文学と呼ばれるものの半分は実は翻訳文学であって,翻訳語は特殊な性質があるのだ。シェークスピア演劇でも,その本来のコトバを十分に把握して観劇できるようなことはありえない。日本人にとっては,翻訳家の存在がたいへんな比重を占めているのが日本の演劇なのだ。
英語で,日本語の芝居を上演することは難しかった。ワークショップの劇場選びも困難が続いた。ロンドンで役者は探した。ダンスのときには体を使う役者も,セリフばかりの芝居では,余計に頭を使うことになろう。一度会っただけでよい役者かどうか,わからないこともある。要求することについて来られる役者は思ったほどいない。
『赤鬼』出演のサイモン・クレガーは,ミズカネ役だった。彼は,気が短くて,ペットボトルを投げていた。子どもの喧嘩が始まる。演出家は私だ。私が決める。
2003.1.31.ロンドン『赤鬼』公演の初日となった。
演劇関係の本には,まれに「制作」と呼ばれる,演劇の周辺をささえる仕事関係がある。目立たないが,これは結構大事な部分である。野田秀樹をある時期引っ張っていった女性に,北村明子という名がときどき出て来る。85年から,劇団夢の遊眠社の営業マネジメントを担当。その後,「NODA・MAP」をたちあげる。98年からは,「シス・カンパニー」。
確かに,役者を売り込むこと,劇団の段取り・進行について,裏方でささえる仕事は地味であるが,貴重なものだと思う。無名の役者をどう売るか。テレビに使ってもらうにしても,舞台で見てもらうべきだ。役者たちにも,小さな役でも現場で認めてもらうべきと指示する。妙なプライドは捨てた方がいい。実力に役がつく。ワンシーンでもがんばれ!
野田秀樹に対して,役者として舞台に立つことより,演出に専念することをすすめた。ここでは,オリジナル脚本より,既存の戯曲を優先させる。集客についても,動員数をまず正確に予測するようにする。使う劇場もそこで決まって来る。問題は,少しあふれるくらいが良くて,最前列に空きがあるのはまずい。今回,青山円形では,追加なので空きあり。
プロデューサーと演出家で,企画会社「NODA・MAP」をたちあげ,年に一回プロデュース公演を行うことにする。劇団であれば,出演はほとんど劇団員が中心である。プロデュース公演には,劇団員はいない。キャスティングは,ゼロからのスタートとなる。ワークショップというものを,役者の動きを見るために多用し始める。
役者と,演出家と,脚本と,劇場を組み合わせて提案し,稽古場に入れ込む。企画力の強い,面白い芝居が出来上がっていく。ロンドンから野田が帰国してからは,「シス・カンパニー」は,野田作品以外に比重が移り,2008年には,北村は,「NODA・MAP」から撤退し,野田秀樹と距離を置くようになっていく。
興行の世界は前近代的な世界だと北村は思った。そこは,でっち奉公の世界となんら変わらない。労働条件もひどいものだ。北村は,演劇など観たこともない役人相手には,企画書とはべつに,プレゼンに力をいれた。プレゼンそのものが,芝居のようなものだ。言葉に命を吹き込む。言葉のリレーをいている人間どうしは,生きているのだから。
彼女は,ビジネスの世界にはちがいないが,演劇の制作には,人脈は必ずしも必要とは考えなかった。計算が先行する人間関係を抱え込むことは,制作において足かせになる。マネージャーは,役者の現場になどいって,彼女の背中をぴしゃっとたたいて,落ちつかせることもすべきでない。現場は役者のもの!役者はそこで自分で戦うべきだと。
舞台経験のない役者は,舞台で鍛えられるのが一番いい。失敗を恐れることはない。役者は,観客に向けて,どれほど心を開くことができるか,まるごと,自分を見せることができるのだろうか,北村は,そこが大事だという。恥をかく場所を見つけ,経験の積み重ねで,役者自身が強くなると主張する。
演劇の現場は,トラブルがつきもの。出演者の健康がまずある。役者は,チームワークで仕事をしないと成立しない集団にいるのであるが,個々は,ほとんどが自己中心的な,われこそが天才!という性格ばかりとなる。演出家が厳しく役者にダメ出しをし過ぎて,芝居が崩壊していくなら,その組み合わせを決めた自分に責任はあるのだ。
北村語録から。飽きっぽい自分には,毎日作るものがちがう芝居の制作があっていた。何かあって,何かを失うことになっても,人生というものは不思議なもので,思わぬ別の価値を獲得するものである。始まったものが終わる,必ず舞台の幕は下がる。あとは,頭の中にしか,なにか残らない。それだって次第に色褪せていくだろう。それが芝居の良さ。
参考:だから演劇は面白い(小学館)