期待度♪♪♪♪♪
この日を境に何が終わって、何が始まったのか…
歴史に「if」が派生しうるなら、21世紀の大事件は ほぼ「霧」に終わった。
1968ロバート・ケネディ(弟)暗殺は、同氏支持者による混乱を避ける目的で急遽、ホテルの裏口ではなく、レストラン従業員用の通路を利用したためであるし、1989ドイツ東西統一は政府報道官が過労気味だったゆえの誤情報が発端だ。
ニュースの中心人物に蚊が吸い付き、「うっとおしいんですけど」という感情が露わになれば、未来の歴史教科書は一変する。これが「if」だ。「if」とは、軍事バランス、ポリティカル・パワー、大衆世論より、むしろ「人間」の影響下にあるシーソーだ。
我が国の政治においても、「失言」から閣僚が追い込まれると、次の日には「辞任ドミノ現象」が開始されている。その「失言」はクーラーが故障して室内が かなり高温だったことが原因かもしれない。
『劇団チョコレート ケーキ』が1914年6月28日を舞台化する。
それは、「if」ではない。
日澤、古川が 参考文献を買い漁り、新聞記事や実際のインタビューを緻密に再構成した社会派である。
演劇ならではのインクで示せば「ifの人間らしさ」にフォーカスする描写だろう。
しかし、彼らの解釈はセンチメンタリズムではない。役者が歴史の事実を そのまま背に負うファクターであり、退屈な形式論を正当化する演技をしてくれる。
「事実」と「if」
帝国劇場ミュージカル『エリザベート』(東宝)のように、ハプスブルク家の栄光、凋落、悲劇のドラマを描く舞台は煌びやかだ。
だから、私は 進言する。
『劇団チョコレート ケーキ』らしい、灰色がかった社会派エッセンスを、100年前の{オーストリア、ハンガリー、ボスニア・ヘルツェゴビナ}に投影せよ。