おやすみカフカ 公演情報 ttu【2017年5月末解散】「おやすみカフカ」の観てきた!クチコミとコメント

  • 寝巻きに、カフカを


    身体にグサリと突き刺さる台詞。

    「心臓、消化、」をエンドレスに放つキャスト。たかだか「肉体のパーツ」を言語化したに過ぎない。

    しかし、こうしたリピートに胸が灼熱になり、ある種の拒絶感覚さえ覚える、そんなシーンであった。



    公演場所のSTスポットは 演劇専用劇場=アクトシアターではなく、芸術空間=アートスペースに活用されてきたところだ。『宗教劇団ピャー!!』といった、世の中が退避してしまう演劇スタイルを採用する劇団からすれば、そのミニ・キャパシティは「鬼に金棒」である。
    ttuは「文学前衛論」だと思った。





    昆虫は いわざとなれば食用である。某芸人は「芋虫を食べた」らしいが、生態学的な「共生」を
    クローズアップするなら、人類の命運を握っている存在だろう。
    アインシュタインは「蜜蜂が絶滅したら人類は4年で滅ぶ」と分析した。
    授粉の主たる媒介者がいなくなると、果実が実らない。種も土壌に育たず、広域の植物が衰退する。
    動物、ヒトにも多大な影響が生じる生物サイクルについては小3の
    子どもでも解るはずだ。


    話は変わるが、私は高級果実・マスクメロンを生育したことがある。
    ところが、「授粉」という原理を忘れてしまった結果、巨大マスクメロンは収穫できなかった。
    ということは、逆に人口的にヒトが農家の役割を果たさなくとも、小粒マスクメロンは収穫できたのだ。

    媒介者は もちろん「昆虫農家」である。昆虫はIT社会におけるサーバーのごとく、この地球上に羽ばたかなければならないプレイヤーなのだと実感した。

    ネタバレBOX



    井上陽水の名曲『夢の中へ』を含む歌謡曲と、多摩美大的リベラル・フォーマットが混在化した舞台空間…。これは文明社会とナチュラリズムの「棲み分け」という解釈も可能であると思うが、個人的には せっかく天井から吊るした白熱球が「心の原風景」なるナチュラリズムを創出したのにもかかわらず、一曲、二曲程度の歌謡曲のために世界観が損なわれ、とても「もったいない」気がした。



    カフカは『変身』で、次のような台詞を書き記す。


    「ここでは、他の誰も、入ってよいなどとは言われん。なぜなら、この入り口は ただ お前のためだけに用意されたものたまからだ。おれはもう行く、たまからこれを閉めるぞ」


    これは主人公を拒む門番の台詞である。


    舞台の冒頭シーンは 「文学」を立体的に身体へ転換したに過ぎなかったが、中盤につれ抽象性も増し、「思考する時間」から すればよいサロンであったのだろうが、その分断が響く。
    若いコミカルな演技も排除すべきだった。

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    2014/05/14 01:19

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