羊と兵隊 公演情報 松竹「羊と兵隊」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★

    どこをみたらいいのかわからない
    なんだろう、この、未消化感は。狙いかもしれなくて、僕の観方が悪かったのかもしれないけど、多分、この劇、失敗していると思う。役者さんたちはみんな良かったのだけれど、どこか、なにか、しっくりこない、と思った。

    ネタバレBOX

    失敗点はどこだったのか、考えてみる。

    観客を呼ぶスターとして、作品の中心として、物語を救心していくのは、中村獅童、そして彼演じるところの「ルイ」だ。作品中の人間関係は、この「ルイ」という人物を中心に構築されている。みんな、この「ルイ」という人物に対して、なんらかの思いを抱いている。

    さらに、仕掛けは凝っていて、この「ルイ」が、二人いるということになっている。表にいるのは、徴兵逃れのために用意された替え玉で、どうやら本物は、納屋の中に隠れているということが示唆される。

    ここで、人間関係は、二重化する。各々が「ルイ」に対して抱いている感情が、表のルイに対してなのか、裏のルイに対してなのか。そこが、物語の進行の核として機能する。

    ところが、ここで、問題が生じる。つまり、こういう構造が完成してしまうと、肝心の「ルイ」は、不在でも舞台が成り立ってしまうのである。つまり、「ルイの物語」ではなくて、「ルイを巡る物語」にあっては、「ルイ」は、物語の「機能」であって、そうなると、主役である必要はなくなってしまうのだ。

    なんだか、デュマの『ダルタニャン物語』のラストの方に出てくる、鉄仮面を思い出した(あれも「ルイ」だし)。あれは、双子の片割れが鉄仮面をつけて幽閉されているという核を中心に展開する物語だったけれど、主役は、中心の周りを回る、四銃士たちだった。

    物語は、獅童を無視するようにして展開してしまう。獅童は、舞台上にいても、ほとんど存在感がなくなってしまう。たとえ獅童が個人的な存在感を醸し出そうとも、物語上の存在感は希薄なのだから仕方がない。そして、実際、後半、替え玉のルイが出征してしまってからは、本物のルイの「不在」を巡る物語にシフトしていく。

    こうなると、逆に、獅童の存在が邪魔にさえなってしまう。後半の、本物のルイは、なんのために舞台上に姿を表すのか、全く必然性がないと感じた。むしろ、彼が舞台に出てきてしまうために、彼の不在を巡る物語は破綻してしまう。だから、ラスト、強引にオチをつけて、無理矢理終わらせたような、そんな印象。

    どうも、獅童の多面性を見せるために用意されたとおぼしき、この「二人のルイ」というアイデアに引っ張られてしまった感がある。このアイデアだけが一人歩きしてしまって、役者さんたちが一生懸命であればあるほど、どこかちぐはぐで、空回りして見える。結果的に、僕は、物語も、登場人物も、どこを、誰を、みたらいいのか、最後までわからなかった。

    個人的に、田畑智子のファンなので、彼女のメイド姿を堪能した。特に、休憩後の彼女のコミカルなダンスは楽しかった。でも、僕は、それを観に来たわけじゃないのになぁ、とも思ってしまったのだった。

    0

    2008/07/09 01:50

    0

    0

このページのQRコードです。

拡大