『横浜トヨペット』販売記録を塗り替えた!「小松政夫」と“無責任時代”
日本喜劇人協会第10代会長に就任するコメディアン・小松政夫。
同協会に参与として迎えた石倉三郎と「新作コント」を三連発 披露した後、30分のトークショーを行う。
そこで大御所コメディアンが口滑った“秘話”の数々とは…。
元クレイジーキャッツ・故植木等の付き人兼運転手となる前、『横浜トヨペット』のバリバリ販売員だったことを明らかにした。
「『横浜トヨペット』ひと月の新車販売台数の新記録だったんだって?」(石倉)
「『10』売れれば大したところを、新車で『27』以上販売した。中古車を入れるともっとかな」(小松)
「完全な歩合制でしたよ。8台目までは一律1万円。で、9台目からは3万円になる」(同)
当時小松の月給は70万円近くだった計算だ。(1960年代前半)しかも、たかだか『横浜トヨペット』新入社員の身分である。
新卒社会人の初任給が1万6000円という時代。
20歳前半の新入社員・小松が得た月給は同年代と比較し『約40倍』に膨らむ!
「熱海旅行へ行くと、“大勢連れてきてやった”んだよな。宴会に、芸者遊びやらさ…」
小松がブレークしたキッカケが日本テレビ『シャボン玉ホリデー』。
谷啓『ガチョーン』と茶の間を沸かせた一発ギャグが『知らない、知らない』だった。
小松によれば、新入社員時代のある日、『横浜トヨペット』上司である課長が業績について しつこく文句を続けたらしい。
様子を聴いていた部長(事務機器会社から引き抜いた恩人)がその課長を批判したところ、課長が小松のところへ来て『もう、知らない、知らない』と怒ったそうな。
植木等へ この新入社員時代エピソードを話した小松。
「面白い。テレビでやってみろ」(植木)
『シャボン玉ホリデー』生放送である。
あのギャグは「実話が基」だった。
公演について_
「試みです。次回はちゃんとしたものを やりますので」(小松)
アドリブ劇に近い、方向性の定まらなかったコント。
二発目では「疲れた。疲れた。体力の限界…」と『年齢』を隠せない小松の姿が あった。
パンツ一丁になり、女性用ドレスを着用する。
(当初、石倉が脱ぎ始めると笑い声も起こった)
往年の喜劇人に限界はない。
“小松正夫節”炸裂である。