満足度★★★★
そういえばモダンスイマーズ
Bバージョンを観た。HPを覗くと「17日以後はAバージョンで行く」と蓬萊氏の口上。「Bバージョンでは不本意な舞台を見せた事をお詫びする」、という趣旨が書いてあった。
そうか・・。私はスイマーズの俳優小椋氏と古山氏をよく知る程のフリークでもないが、この時はどちらかが「正解」キャスティングで、なぜか私は「こってり古山」が正解と決め、(Bバージョンの日程ならすぐ予約できたのに)スケジュール調整しようと試みた。結局調整はかなわず、当日電話予約が出来たBバージョンを観た。
ダブルキャストと言えば世田谷Pであった『クリプトグラム』も登場する3人の一人、子役がダブルだった。この2人のイメージが、動画をみると随分違うので、私はか弱く理知的でナイーブな印象の一方を「正解」と判断したが、これも叶わずだった。しかしこちらは翻訳劇だから元々「翻訳的」(原典からの距離感がある)にならざるを得ず、その部分は評価の中心にはならない。
しかし、モダンスイマーズでは(というか蓬萊竜太氏の書く戯曲では)、人物の「役」としての掘り下げを強く要求される(それでないと成立しづらい)、そんな印象を持っている。もし重要な役ならステージごとの交替でやるのはかなり冒険だな、という印象が多分チラシを見た時よぎった。幅を持ちにくい人物像は、役者にとってはどちらがその役に肉迫し、最終的に占有して行くのかという事にならざるを得ないという事もあるに違いない。・・そんな想像をしている。
蓬萊氏の戯曲が「深い掘り下げ」を要求するという感じをはっきり持ったのは新国立の『エネミイ』。芝居を観ていて、ああ何かこの役はもとは少し違った形を想定して書かれたんじゃないだろうか、と感じながら見る、見ながら戯曲世界を自分の中に構築する、という事をやっている。もしかするとこの作家は想像の余地を(不可解さを)敢えて残す、そういう書き手なのかも。
私が見た今回の舞台は、細部は思い出せないが全体として漠とした印象で、物語世界がふくらんで行く、立体として押し出すためにもう一つ押し出し棒が足りない感じが残った。ただ、残りつつも、前向きに受け止めたい思いが湧いて来た。
今回は劇団としての再出発的な位置づけとおぼしい公演、どの方向への再出発か、少し安い3000円の観劇料、会場が「スズナリ」であることや、「新劇団員入団!?」やホームページの刷新等々。「上」を目指す志向は否定しえないとしても、それでは「これまでやってきた演劇」は何なのかという自問が、そこはかとなく伺える。健全だな、えらいな、と単純に思った。
芝居のラスト、新人女優が舞台正面に立ち、拙く台詞を吐く姿の背後にも、劇団の「向かおうとする」足掻きのようなものが想像され、私はうむと納得して帰途についた。過去の幾つかの感動が、劇団の「今」を(作品評とは全く関係なく)思わせられる、そんな邪道(?)も少し自分に許してしまう今回の観劇だった。