期待度♪♪♪♪♪
『宮沢賢治』を扱うのは責任だ。ー大胆に、真剣に
宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を世界初舞台化したのが東京演劇アンサンブルらしい。「初」を競うなら、私も負けない経験をもつ。初めて舞台を観劇したのは『銀河鉄道の夜』だったし、書店を訪れ買った初めての文庫本も『銀河鉄道の夜』(新潮社)だった。
宮沢賢治の過ごした岩手県は、山•川•海の三点セットである。当時、城下町として栄えた宮城県、三島県令の恐怖政治のもとインフラ整備を進めた福島県と比べ、岩手県は圧倒的な貧農地帯だったろう。経済が豊かな「表日本」(太平洋沿岸都道府県)に対し、経済が困窮する「裏日本」(日本海側、特に山陰地方の県)なる造語が定着した時代性のなか、その貧しさにおいては岩手県も後者と変わらなかったはずだ。
宮沢賢治は、教師を勤めながら童話を記した。存命中に出版された著書は、短編集『注文の多い料理店』1冊だけであり、文科省推奨を受け『雨ニモ負ケズ』等で国民童話作家となったのは死後(昭和初期頃)だった。思えば、聯合艦隊総司令官•山本五十六も東北ー北陸の新潟県出身だが、明治維新後、後回しにされた東北ー北陸=「象徴•裏日本」の精神力に政府が頼った構造は 何とも情けない。
宮沢賢治作品の特筆すべきモチーフは、上記のような国内発展途上地域に住みながら、押井守さえ届かない「近未来の光景」が明確にあったところだ。『銀河鉄道の夜』にしろ、心象描写以上に、近未来のー(言うなれば19世紀イギリスの産業革命が まっすぐ育った)街角である。これは、江戸期の「日本文学」なら表現しえなかった景だろう。つまり、宮沢賢治という童話作家は、明治維新という時代の波を体現した、「日本児童文学の確立者」として評価されなければならない人物なのである。そして、岩手県という山々に取り囲まれる貧しい地域で執筆したことが、「情報伝達」(新聞ー出版文化ー学校教育ー行政広報)という、明治の高文化水準を証明している。
私は『銀河鉄道の夜』に喰われたに等しい。戦後の『銀河鉄道999』もいいが、やはり あの優しい孤独感と、静かなる友の関係は、どの時代を生きる者にとっても格別なのである。