方言の芝居って難しいですね
最近、方言で話す別の芝居を見た。
比べてしまっては悪いが、方言を話す芝居をするなら、まずはそれを自分のものにしなればなるまい。
「会話」になってるとかそれ以前に、言葉が自分のものになっていない役者さんがちらほら…
「ビールのおじさん」こと智良役、パートナーを失った母・倫代役、障害を持つ正役は良い意味で印象に残った。
智良役は、「あーいるいる、こういうヘラッヘラしたヤツ」というのが体現されていた。それは一種の照れ隠しだったりもするのですが。鹿児島弁も立ち居振る舞いも一番自然。
倫代役は「家庭の中を仕切ってきた母」と、「好きにするってどういうこと?と考え込む女性」の二面性を表現出来ていた。この二つの面でこうも印象が違うなんて…
正役は一目でそれと分かった。「(パソコンに)触らないよ」と言いつつ興味津々な所や、「馬鹿」と言われて怒り出す所などは本当にそういう子みたいだ。
脚本は、結末や理由を曖昧にしている部分が目立った。
「こうかもしれない」「いやこうなるのかも」といった考えさせられるものではなく、「あの二人って結局どうなったの?」とか「あの人結局何してたの?」とか。
自分はこういう所をハッキリさせておきたい人間なので、この辺りは消化不良。
すみません、それから智良が尚に関してしていた勘違いがどういった勘違いだったのか、私には分かりませんでした。
お客さんから笑い声も起こったので、分かる方には分かったのだと思います。私の理解力不足であることを願います。