仏教の概念で切り取った、「ジャンヌダルク」
フランスとイングランドの百年戦争に終止符を打った、偉人中の偉人•ジャンヌダルク女史。
現代でも、その慈悲の精神や 指導力、意志の強さは、地球上に住む少女達の誇りである。
当然、「ジャンヌダルク」を描いてきた舞台は数多く存在するが、『ゲキハロ』の今作は 事情が違うらしい。
ジャンヌダルク女史の、「火炙り」のシーンから物語は始まるのだ。
それは通常、ジャンヌダルク女史の歩みを確認した後、ラストで 目撃しなければならない光景の はずだ。
では、なぜ「火炙り」をオープニングに持ってきたか。
答えは、題名 にある。
『我らジャンヌ〜少女聖戦歌劇〜』という題名そのもの だ。
『我らが』ではなく、『我ら』の名詞を使っているところがミソだろう。
すなわち、ジャンヌダルク女史が魔女狩り裁判により処刑されてなお、フランス全土に出現した“ジャンヌダルク”の一連の史実に基づいた作品ーミュージカルである。
一言で現すのは難しい。
一般女性に、地球上のだれもが、当時はフランスのだれもが知っている指導者•ジャンヌダルクのフリをさせる。
イングランド軍との抗争を控える中、政治的な プラパガンダとして反イングランド勢力が利用した面は 否定できない。
だが、仏教の概念である“輪廻”を捉えると、一般女性さえも真正•ジャンヌダルクたり得るのだ。
何度でも言おう。
“ジャンヌダルク”たり得るのだ。
私が観た回は、10分間のアフタートーク付きだった。
作•演出の 末満健一氏の語った言葉を要約した上、紹介させて頂きたい。
(次回も観劇する観客が圧倒的だったことを踏まえ)「皆さんは、これから2時間のミュージカルを二回観るのではない。
トゥルースとリバースがある。
“あれ、どこかで見たことある…”
という台詞は、役が入れ替わっているから。
ジャンヌダルクの魂が廻っている。
そういう観点から観て欲しい」
血のヨーロッパ史を、仏教で切り取り再構成した作品ーミュージカルだった。
その中心は、やはり輪廻に他ならない。
『我らジャンヌ』は、『劇ハロ』最終公演を謳う…。
なぜ、最終公演の文字を記したのか。
今『ミュージカル テニスの王子様』=通称テニミュが女性層の支持を集め、社会現象になっている。
火付け役のドワンゴ常務取締役•片岡義郎氏によれば、「99パーセントが女性。リピート率も高い」という。
公演アンケートで、原作のファンのみならず、「ヅカファン」などと称される宝塚歌劇団ファンの女性も訪れていることが明らかになった。
客層は包括的である。
しかし、テニミュこそ、実は「イケメン劇団」の部類ではないか。
だとすれば、「イケメン劇団」の勢いを象徴する社会現象だろう。
私は昔、「なぜ、男性客をリピートさせるミュージカル舞台」が皆無なのか、理解不能だった。
そして、例外の一つが『ゲキハロ』だった。
女性向けの それが社会現象を巻き起こしているのに、男性向けだと成立できない説明を聴かせてほしい。
池袋「シアターサンシャイン」。
この劇場は先日、『東京セレソンデラックス』の解散公演が行われた場所である。
『我らジャンヌ』は大阪に劇場を移し、公演をつづける。これが充電公演であっても、歌を 、演技を、今後も触れ続けたい。
それは、観客の総意であり、社会の大きな潮流である。