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がんばれ!ゆうなっち
氷川丸は,日本郵船が昭和5年に竣工させた中型貨客船。当時日本は,アメリカやカナダと路線競争をしていた。サンフランシスコ航路には,浅間・龍田・秩父,シアトル・バンクーバー航路には,日枝・平安・氷川が存在した。埼玉の神社に名前は由来している。
海上人命安全国際条約の基準を先取りし,一流シェフも同乗するという,当時最先端の良船であった。動力は,ディーゼル機関である。昭和5年に,太平洋を横断し処女航海に成功し,シアトル市民から大歓迎を受ける。帰国して,横浜・神戸・門司をまわった。昭和7年には,チャップリンが,昭和12年ジョージ6世戴冠式帰りの秩父宮も乗船した。
昭和16年8月,シアトル航路は閉鎖される。在米日本人を乗せて,帰国する。日本海軍では,病院船として,船体は白色になり,緑の帯,赤十字のマークがついた。似たようなタイプの病院船が相継いで沈没する中,奇跡的に終戦まで航行することになる。
昭和25年から,昭和35年までは,北太平洋を238回も横断,延べ25,000人の乗客を運んだ。その後,山下公園に係留される。船体はブルー,ブラックと塗り替えられた。平成18年氷川丸マリンタワーは,解散する。平成20年から,一般公開されている。
(ウィキメディア・コモンズ)