役者が築き上げる、“リアルな空気感”
三編の短編集は、ズバリ「かみ合わない」面白さの洞窟である。
一話目などの、腰を痛めた青年が自宅で見舞いにやってきた友に対し、
「ねえ、どこにいくのさ!」
「買い物に決まってるだろ‥!」
「おぶってくれるんじゃないの?」
この やり取りは、「かみ合わない」ことから生まれた 濃密な 会話劇だった。
二話目の「かみ合わない」に関していえば、それは時代錯誤を生かしたテーマの一言であるといってよい。
あの舞台を、明治大学の校舎で 行ったことに、私は 感慨を憶える。
三話目、ラーメン店の厨房が事件現場に なったラストは意外性満載だった。あのようなグロテスクな事件を変哲のない舞台へ溶かす力も、役者が醸し出させていたように思う。
彼らは、意図する表情だ。
ただ会話劇を繰り返すだけでなく、音楽を控えた あの場に、関係性で形作られた“場”が出現する。
スポットライトを当てなくとも、そこに光る場所は存在する。
こうした、役者が形作る関係性、舞台に出現する“場”を、また、観てみたいと思う。