『うそつき』/『屋上庭園』/『千両みかん』 公演情報 アマヤドリ「『うそつき』/『屋上庭園』/『千両みかん』」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    『千両みかん』『屋上庭園』:アマヤドリ風味の2本立て
    『千両みかん』と『屋上庭園』との2本立て。
    『千両みかん』は落語、『屋上庭園』は岸田國士の作なので、なんとなく古典なイメージの2本なのだが、どちらもアマヤドリ風味がよく出ていたと思う。

    ネタバレBOX

    『千両みかん』
    普通に落語を原作として、2人役者が演じるのかと思っていたら、その想像とは違っていた。
    もちろん2人の役者が演じるというのは、そのとおりなのだが、イメージ的には、「2人で落語をやっている」という感じなのだ。

    どいういうことかと言えば、例えば、2人の会話だが、会話中の目線が合うことはほとんどない。また、演じる役がコロコロと入れ替わる。さらに演技がオーバーだったり、普通の表現ではなかったりもする(お互いの背中に座ったり、担いで歩いたりなど)。
    落語は一人で演じるものだから、会話の目線が合うはずもなく、役もコロコロ変わるのは当然。

    「立体的な2人落語」を観ているようだったのだ。

    しかも落語のように「マクラ」まで用意してあって、それには思わずニヤついてしまった。マクラがもう少し滑稽だったり、軽妙だったりしたら言うことないのに、と。
    マクラからきれいに入るのではなく、マクラはマクラで、唐突に「大変です若旦那が…」で入っても落語らしいとは思うのだけど。

    中村早香さんの、軽妙な動きと明るい発声は、落語の楽しさを体現しているようで、とてもよかった。本公演でも、あの独特の通る声は印象的なのだが、活き活きしていて、観ているほうも楽しくなってくる。


    『屋上庭園』
    どう見せるのか、興味津々だったが、面白い。
    最初、冒頭数分を見せ方を変えて3回演じる。「ん?」と思ったのだが、ストーリーの展開によりその意味が見えてきた。
    (勝手な解釈だが)それは、会いたくない昔の友人に、数年ぶりにばったりと出会ってしまった、戸惑いや、会話が成立するのまでの、心の揺れのようなものを表現していたののではないだろうか。相手にうまくチューニングするというか、そんなイメージだ。

    つまり、観客が観ているのは、(主に)主人公である並木の心の様子、心象・心情なのだ。

    平均台のような不安定な台の上に立つイメージ、足がぶるぶると震えるような中腰、さらに、早く妻が買い物から帰ってこないかと気を揉んでいるのにもかかわらず、妻たちは、スローモーションのように並木たちの周囲を歩き回ったりする、そうした演出は、すべて並木の内面を表現しているようなのだ。

    そうした演出で、主人公・並木に、つい感情移入してしまう。

    また、誰しも、会いたくないタイミング、今会いたくない人はあるだろう。ましてや「今何してる?」なんて聞いてほしくないタイミングや時期、相手など、はあるのではないだろうか。
    そういう、「そっとしておいてほしい心」を、並木を通して見事に描いていた。

    妻の「段々といい友人が少なくなっていく…」なんて台詞はキツイ。
    しかし、並木は妻がいて救われているという点が、この戯曲のいい部分ではあるのだが。

    並木を演じた糸山和則さんの、ねじくれた、ほの暗い感じがとてもいい。
    ヒリヒリ感の共感がある。



    ……確か主宰で演出の広田さんは、結構な高学歴と聞いている。彼は、大学の同期にばったり会ったりして、並木が「まだ書いてるのか?」と聞かれたように、「まだ演劇やってるの?」とか「今何やってるの?」とか聞かれるときに、並木のように感じてしまうことはないのだろろうか、なんて余計なことも思ってしまったり……。余計ですね(笑)。

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    2013/06/30 07:13

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