『ブカティーニにあうソース』について
国旗の色がセットに散りばめられ、食事にペペロンチーノが登場したからではない。
人が、会話が、たたずまいが、まさしくイタリアだった。
話の道筋は、イタリアらしい。
一人のレオナルドなる好色男子を巡る、ハードボイルドな女の恋愛狂想曲である。
北部の都市•トリノの弁護士事務所で この狂想曲が奏でられてからというものの、全く内容を理解できなかった。
事務所の弁護士、探偵、イタリア•マフィアの関係者など、様々な境遇の女性が集結するが、関係図式が 今ひとつハッキリしない。
序盤の「サッカー試合八百長事件」を緊迫し描いたシーンに繋がるのは、まず間違いないだろう。
「15年前」がテーマであることも
確かなようだ。
しかし、進めば進むほど、紐を解くどころか、絡まって複雑な関係図式となる。
パンフレットは どうか。
関係図式について、避けるように記載していない。
この物語は、ミステリーではなく、先程、示したとおり、ハードボイルドな恋愛狂想曲だ。
コンクリートの弁護士事務所に集まったのは、南欧の美女(?)だけである。南欧といっても、トリノはイタリア北部地域独立を訴える「北部同盟」という政党が一定の支持を得る都市である。
イタリア人=ジローラモ氏を思い浮かべる日本人にとって、北部の人々は外国人に映る可能性も考えられる。
コンクリートの内側で巻き起こる、誰が味方か分からぬ関係性、過去に何があったのかを軸に展開する、女の友情…。
オペラの名曲のみが流れる知的な内側 ではあるものの、ハードボイルドとしては緊迫感は伝わらなかった。手を縛るのもスカーフで、何より目に 迫るものが乏しい。
もちろん、会話劇としては知的な狂想曲だった。ただ、ハードボイルドの重要なポイントが伝わらなかったのは へし折れた電柱と同じ印象を持つ。
女とか、男とか、関係なく、そこは もっと現実性を備えた「対峙の姿勢」が あったはずだ。
手を縛られているわけだから、旧友であっても、いや、旧友だからこそ しなければならない表情が あったはずだ。その点でいえば、マスクを被らせる演出は、逆の効果を生じさせるのではないか。
「レオナルド」は、どれだけ魅力的な好色男子なのか、それは隠された舞台のテーマである。
彼女達の裏切り、脅し、…友情、全てレオナルドが原因だ。
15年前、当時、孤児院で一緒に育てられていた彼を、みんなで「守る」ことを決めた。
「傷つくけど、気付きたい幸せがある」
歴史を背負うのは、負担だ。
しかし、二宮金次郎は蒔きを背負った。
舞台の肩には、イタリア社会とマフィア、女達、レオナルドの15年間が乗っている。見えないけれど、会話劇が 見えるようにバージョンアップしてくれる。
私は、「見えない」レオナルドを、この国の青年に知ってる。
青年の名は桐島という。
『桐島、部活やめたんだって』(朝井リョウ 著 角川文庫)の、主人公にして顔を出さない桐島クンである。
地方高校バレー部のキャプテンでありながら、ある日、部活を辞めたという情報が校内中に知れ渡った。
周りの反応、対立をとおし「桐島」なる青年の人物像を掘って行く、その作業がストーリーである。
今回の舞台に関していえば、レオナルドは全てを繋げる「象徴」的な存在があり、男ー女の普遍的な物語を扱っていたとすれば、「オペラ」に他ならない。
「オペラの発祥の地」イタリア、数え切れない男ー女の物語を響かせたなか、八幡山で行われた 今回の舞台も 極めて近しい音域に属するのだろう。
イケメン劇団に対抗しえるユニットとなりえるか。
ミュージカルではなく、イタリアを持ち出してきたところに、これから の道筋を察する。