未確認の詩-ウタ- 公演情報 ライオン・パーマ「未確認の詩-ウタ-」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★

    ラストがよかった
    冒頭は奇想天外な物語に引き込まれましたが、途中は少し飽きてしまいました。ですが、最後の締めはとても良かったです。

    ネタバレBOX

    最初は奇想天外な話を面白く観ていたが、延々それが続いて、正直飽きてしまった。それらが単に並列的でしかなく、複数の繋がりを見ることで、別の何か、又はより深い何かが見えてくるという構造にはなっていなかったので飽きてしまったのだと思う。

    だが、最後できちんと締めてくれた。
    <以下記憶が曖昧です。どなたか間違いを指摘していただけると幸いです。>
    最後に、その奇想天外な話の数々は、主人公が小説に書いた話だと判明する(亡くなった恋人が小説に書いたものだったかも?)。
    そして、主人公と亡くなった恋人(コリッチの別の方は弟と書いているので、弟かも、、、)とのやり取りが最後のエピソードなのだが、それも主人公が小説に書いたエピソードだったか、主人公が精神科の主治医に語った話だったか、、、はっきり覚えていない。

    いずれにしても、そこでの台詞が秀逸で、そのことの意味の広がりと余韻を考えながら舞台のラストを見ていたので、正確な舞台上の設定を聞き洩らしたのかも、、、

    亡くなった恋人は主人公こう問いかける。
    「僕のしゃべる台詞は、僕が言っていることじゃなく、君が僕に言って欲しいこと。それを僕はしゃべっているだけだ。」
    この台詞の裏には、最初と最後に出てくる野球場でのエピソードが関係している。主人公は、野球場で、天文学的に確立の低い出来事、つまり奇跡が彼前に起きたと信じきっている。だが、それは主人公が勝手に妄想によって作りだした話であって、実際は、似たようなことは起きたものの、それは彼の身に起きたのではなく、彼の隣りにいた友人に起きたことだった。それを都合よく記憶を作り変えているだけなのだ。

    これは、小説などの作りごとの話から、過去や記憶のこと、さらに現在も含めた認識全般の問題まで、極めて広くその意味を捉えることができる。
    人は、自分の思い通りになるように自分の世界を認識しているものだ。
    (この評(感想)さえも、僕が勝手に解釈して、自分に引き寄せて語っているに過ぎないのだから。)

    しかも複雑なのは、彼をどこかで信じていなかったから、主人公はそんな捏造をしてしまったということ。彼は自分にその奇跡が起らなくても、隣りの友人に起きたその奇跡に、満面の笑みだった。つまり、捏造などしなくとも、それで十二分に彼は幸せだったということだ。
    過剰に、自分の都合のよいように理解しなくても、世界はそのままでも充分に幸せに満ちている、、、ということだろうか?
    ではなぜ彼女は、彼を信じきれなかったのだろう、、、
    彼女のせいなのか?、、、

    解釈は、いかようにもできる。

    いずれにせよ、開かれた、多様な解釈ができる、、、名台詞。

    そう考えると、翻って、未確認の詩の意味が問い直される。
    単に奇想天外に思えたそれぞれのエピソードに出てきた「未確認の詩」(タイトルでもある)の意味とは何だったのか、、、と。
    これを書きながら、改めて考えています。

    終わりが良ければすべてよし、とまでは言えないが、
    最後がとても良かったので、とても良い印象で劇場を出ることができました。

    とにかく、あのラストの台詞と一連の場面がとても良かったです。

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    2013/05/19 23:01

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