紙風船文様 公演情報 カトリ企画UR「紙風船文様」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★

    演出家(たち)の、格闘の記録
    岸田國士の有名な戯曲『紙風船』を、同じ役者を使い、演出家を変え、2年ぐらいかけて上演するという、意欲的でとても興味をそそられる企画だ。
    その第1回目。

    次回も楽しみだ。

    ネタバレBOX

    『紙風船』は、2011年の利賀演劇人コンクールでも取り上げられ、確か5つの団体(個人)が同じ『紙風船』を上演し、競い合った。
    また、オクムラ宅さんの企画で、『紙風船』の戯曲には手を加えず、演出のみでオリジナルに近い大正時代と現代の2つのパターンを2本立てで、見事に見せたというのも記憶に新しい。

    今回の企画は、前述のように、演出家は「同じ戯曲」「同じ役者」「音楽なし」という縛りのみで、あとは何をしても自由というレギュレーションで行われる。
    「同じ役者」という縛りは、相当な縛りではないだろうか。
    演出家にとって、自分のイメージで演出したいとなると、役者というピースはとても大きなものとなるからだ。

    役者は、黒岩三佳さん、武谷公雄さんという、味があってうまい人が用意されている。
    しかし、やはり、その人の持つ、あるいは醸し出す雰囲気はあるだろう。

    第1回目の演出家は、西尾佳織さん。

    戯曲の中心は、なるほど変えてないものの、最初から違和感が生じた。
    それは、もちろん演出によるものだ。
    そして、その違和感は、「マルイのスプリングセール」で頂点に達した。

    丸井が大正14年(戯曲の発表された年)にあったかどうかではなく、例えば、「スプリングセール」と「活動(映画のこと)」という、2つの語句の座りの悪さ。

    時代設定がどう、ということいではなく、聞き流すことのできない違和感だった。
    それは、最初から感じていたことなので、聞き流せなかったということもある。

    つまり、この違和感は、どうやら「戯曲に対する演出家(たち)の違和感」でもあったようだ。
    戯曲で描かれる男女の関係に違和感を感じ、演出家(たち)はそれと格闘したようなのである。

    つまり、これは演出家(たち)の、格闘の記録ではないか。

    演出家(たち)が、結婚1年の夫婦、あるいは男女の関係について、どう感じ、どう理解して、どう表現するかということなのだ。

    演出家(たち)は、自分たちが感じているものを、(たぶん)岸田國士の戯曲『紙風船』の中には見出せず、何かを加えて、あるいは削って、自分たちの気持ちに近づけようとしたのだろう。
    結局それが中途半端で「違和感」を感じてしまったのだ。

    岸田國士の戯曲『紙風船』が「強い」ということもあろう。
    長年、いろんなところで上演されてきたこともあり、さらに言えば、ここで描かれる「結婚1年目、ある夫婦の、ある日曜日の、ちょっとした倦怠感」が、共感されやすいということもあるからだろう。
    「共感されやすい」とは、「ああ、なんかそんなこと、ありそう」と思わせるところで、その力がこの戯曲は強いということなのだ。

    そこに対して、「ああ、そうなんだろうな」では済まさないで、「違和感あり!」と、立ち向かった演出家・西尾佳織さんの姿勢は素晴らしいと思う。
    それでなければ、この企画は成立しないのであるから、プロデューサーのカトリヒデトシさんはしてやったり、というところではないだろうか。

    ただし、結果としては、岸田國士に力で押し返されてしまったという印象だ。スタンダードな戯曲となっている強さが見えた。
    『紙風船』を換骨奪胎して自分のカラーにしてほしかった、ということではなく、『紙風船』を取り込んでしまうような演出が見たかったと思った。
    それが時間切れなのか、諦めなのかよくわからないが達成されていないところに未練は残る。

    私が最初に感じた違和感というのは、芝居の冒頭に訪れる。

    夫が部屋に入って、お菓子を食べるシーンがある。飲み物を飲むときにわざと音を立てるのだが、それに気がつき、妻がちらりと夫を見るのだ。
    その「ちらり」と、それに対する夫の反応が、2人の関係を表していたように思えたのだ。
    この2人の反応は、岸田國士のそれではなく、その後にも現れてくる、妻の「低体温」な雰囲気が夫婦の関係を支配しているように感じたのだ。

    その2人の関係が、結婚1年目、ある日曜日の、夫婦のちょっとした倦怠ムードから1歩踏み込んでしまったように感じたのだ。

    私の個人的な意見としては、演出家が感じるほどの、2人関係はアンバランスではないということ。例えば、少しいじわるをしてみたいという程度の、ユーモアを内面にしたやり取り(会話)だと思うからで、その表面に現れないユーモアや夫婦間の関係(愛情と言ってもいいかもしれない)まで、もう少しくみ取ってほしかったな、と思うのだ。例えば、海に行くシーンからの、妻の温度の下がり方が気になったりするのだ。

    もちろん、これは私の個人的な感想なので、演出家がどう感じ、どう表現するのかは自由であろう。

    最後に、出てくるはずの、タイトルにもなってくる「紙風船」が出てこなかった。
    岸田國士が「紙風船」に込めた想いは、演出家にはピンとこなかったのかもしれないが、ならば、演出家にとっての「紙風船」を見せてほしかったと思った。
    ハンバーグではないと思うけど(笑)。

    オリジナルの戯曲のラストの感じも好きなもので。

    ご存じのとおりatelier SENTIOの脇には東武電車が走る。
    さらに階上からの下水が流れる音などもしてくる。
    その生活音が、舞台に活きていたように感じた。
    新婚1年目の夫婦が住んでいる、線路脇のアパートの一室。
    岸田國士が描いた、一軒家の縁側、ではない、現代のリアルさだ。

    さらに、観劇した日は、雨だったので、装置としての洋服や靴下が吊してあるのも部屋干しのようで、雨の日曜日の気怠さを、より感じたのだ。

    そこにうまく立脚していれば言うことなかったのにな、と。

    この企画来年までの間に数人の演出家で行われるという。
    その人たちが、それぞれが感じる、結婚1年の夫婦、あるいは男女の関係について、岸田國士の戯曲を通じて明らかになっていくのだろう。
    楽しみだ。

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    2013/04/07 06:36

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  • コメントありがとうございます。
    カトリ企画は、とにかく刺激的な企画が次々なので目が離せません。
    だから大丈夫です。「営業だ」なんて、私はいいませんから(笑)。

    今回の企画は、「単に戯曲どおりに」と「さらり」と逃げられそうにない内容になったようです。
    その状況は、第1回めの西尾佳織さんが見事に創り出したと思っています。
    つまり、そうなるであろう、という抜群の第1回の人選であったと思います。

    私も観客として、「自分の1年目」と照らし合わせながら見ていたように思います。
    だからこその「違和感」だったと思います。
    その人それぞれの夫婦観があり、自分のそれに立ち向かった西尾佳織さんが、それを見せたからこそ、私も「自分の」に想いが至ったのではないかと思うのです。

    2013/04/08 06:20

    ありがとうございました。
    次のやつがビビるよう的確なご指摘、ご指導も今後もよろしくお願い致します(あれ、微妙に営業に…)

    2013/04/07 08:12

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