枝光本町商店街 公演情報 のこされ劇場≡「枝光本町商店街」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    ふと、また観たくなる、また会いたくなる
    まず、街を探訪するだけで楽しかったです。
    そこに住んでいる人がいて、土地に染みついているものがあることを実感できました。
    枝光に住んでいない人(のこされ劇場≡の劇団員)が作っているという構造も面白いですね。
    街に縁のない人がつくる街の物語。
    街を愛していないとできないことだと思います。

    商店街で働く方々が出演されているのは、
    最初にさいたまゴールドシアターを観た時の感覚に近かったです。
    なぜか、プロの俳優とは違う、少々たどたどしい演技をする姿に胸打たれるんですよね。
    生きてきた年輪が重要なのだと思います。
    この作品では、目の前でしゃべっているのは市井の人だけど、俳優でもある。
    そして観客の私自身も物語の登場人物の一人になる、面白い体験でした。

    俳優に自由に質問ができるので、公演の進行が参加者の采配次第なのも新鮮でした。
    時間が決まっているような、決まっていないような…、偶然を装っているかというと、そうでもなくて…。
    ジャンル分けが難しいですが、演劇って何だろうと考えるきっかけにもなりました。

    明確な意図を持ってルートを決めて観客を案内し、最後にあの場所に連れて行って帰結させるのは演劇の演出と言えると思います。

    人に会うと心が動いて、恋情のような気持ちが生まれますよね。
    ふと、また観たくなる、また会いたくなるんじゃないでしょうか。
    そんな後を引く感覚があります。
    北九州まで行った甲斐がありました。

    ネタバレBOX

    体験型演劇というとリミニ・プロトコル「Cargo Tokyo-Yokohama」を思い出します。
    トラックに乗って品川から横浜をめざすのですが、車窓から外を眺めると、道に立って歌う女性がいました。
    また同じ女性が自転車に乗って追いかけてきたりするんです。

    『枝光本町商店街』の場合は案内役の俳優は1人だけで、最後に付き添いだった人が作品に参加することで演劇の効果が生まれます。
    欲を言えば、もっと前から仕掛けがあって欲しかったですね。
    商店街で「八百屋さん」を演じる俳優もいるのかなと想像していました。

    古い旅館に着いた時、思い描いたのは自分の両親のことでした。
    私には自分の故郷の記憶がないので、知らない古い街を訪れることは父母の故郷に行くのと似た感覚があります。
    最後にお嬢様が手を振る姿を見て、私の父と母にも、自分たち自身の意志で、故郷から東京へと出てきた日があったんだと思い起こしました。
    思わず『ベルサイユのばら』の「さらば!もろもろの古きくびきよ・・二度と戻ることのないわたしの部屋よ・・父よ・・母よ・・!」というオスカルのセリフを思い浮かべたりも(笑)。

    どんな街でもそうですが、住む人がいなくなったら、街について語る人がいなくなります。
    人が生きていない古い街…たとえば遺跡がそうですよね。
    この公演が、街を“人の記憶の集合体”として残す試みであると考えると、とても興味深いです。

    見る人によって印象に残るところはバラバラですが、記憶が集まると、
    目の細かいジグソーパズルみたいに細部にわたって街が再生されるんじゃないでしょうか。
    ピースが多ければ多いほど、奥行きが広がって立体的になり、陰影が出てきますよね。

    美味しいひょうたん最中をご馳走してくださった和菓子屋みずまの店長さんが、
    「地獄横丁に赤い大きなイスがあった」というエピソードを披露されましたが、
    果たしてそれが事実だったのかどうかは、確かめようがありません。
    記憶はいつでも作りかえられたり、脚色されていくものです。
    ある時代に生きていた人の証言が、口伝えで未来へと受け継がれていきます。
    今、生きている人のしゃべることも絶対じゃないですよね。
    じゃあ、真実って、何…? そんなことを考える契機になりました。
    演劇に出会えたのだと思います。

    こう考えていくと、のこされ劇場≡というネーミングはうまいですね。
    劇団を「劇場」と呼ぶところもいいと思います。
    劇場での演劇作品も観てみたくなりました。

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    2013/04/05 13:16

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