満足度★★★★★
産声と、絶望と、心強さと
実際世界は自分のこころを中点として半径5cmくらいまでしか掌握しきれておらず、あまりにも俗世に足もとを固められた舞台だ。
大学生の卒業制作と認知して鑑賞しなくとも、決して大人がつくったものではないことが容易に感ぜられる、幼く高慢でアシメトリックな思春期の内的情動を多分に含んだ作品内容であった。自分のこころの次にくる関心事は俗世であって自分のからだではないと云わんばかりの青年の盲目さが、この作品を作品せしめているのだろう。青年は青年であって、産まれたての生命ではない。ただ、青年の作品が産まれる瞬間のみずみずしさは生命を包む液体の明度と似ているのではないだろうか。そんな印象を全体から受けた。
主人公の水子は匿名性の高いキャラクターで、空気と良く馴染む声質で未発達な身体を震わす小柄な女性が演じる。周りのキャラクターが色濃く、観劇後彼女の印象は消え入りそうである。それでも彼女の名前に太い下線を引かしめているのは「水子という主人公」の設定だけのような気がした。これは非常に効果的な役者の使い方だろう。
この劇団のキャラクターは皆突飛でありながらしっかり俗世に足を取られている。だから鑑賞者誰もが持ち得る極限値をみせてくれる。これが生の人間だ、常識や規範に翻弄されない欲望まみれで忠実な生だ、と。本当なんてありはしない嘘だらけだ絶望するよ、でも生きるよ、あ、救われたほわんんほわん...誰でもいいから愛するよ、愛してる!何でこうなっちゃったんだろう。渦巻く決断と目に見えない力が運命とかいうはかばかしいものに乗って運ばれていく。
底抜けに明るいしょうもない終わりに集約されているものは、淡々としたしょうもない我々の生だと感じ、絶望して会場を後にした。無くても困らないであろういち文化興行が、人ひとりを絶望に追い込めるのだから凄いと云っているのだ。