発表~いま、ここ。~ 公演情報 趣向ワカヌ「発表~いま、ここ。~」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    一作ずつに異なる景色
    4作とも、とても良い意味で、真正面ではない場所からなにかを眺めているというか、覗き見ているというか・・・。

    それぞれの作品の個性を楽しみつつ、
    休憩込みの4作品があっという間でした。

    ネタバレBOX

    リーディング『いま、ここ』
     
    最初に、二人の劇作家・演出家のご挨拶と前説があって、
    それを二人の役者が引き継いで会話の風景を組み上げていく。
    まあ、ガールストークの態ではあるのですけれどねぇ・・・。

    なんか、四角いものを斜めに置くような
    歪みがしっかりと腰をすえているような、
    不思議な会話でありまして、
    でも、だからこそ感じられる、他の作品を導き出す
    二人の視座や切っ先があって。

    会話の、どこか食い違いつつも、
    拠りあわさるような質感(良い意味で)がひっかかる
    百花亜希・若林えりバージョン、
    二人の個性のデフォルメが、
    それぞれの独立した質感を醸し、
    統合した風情のなかに、
    同床異夢の、想いの歪みや踏み出しが際立つ
    菊池美里・サキヒナタバージョン。

    キャラクターの歪みやひずみ(しつこいですが褒め言葉です!)を
    異なる角度からみるような2バージョン、
    両方見て、まったく質感の違う舞台だからこそ
    伝わってくるものも多々あって、
    二人を背負う役者達のお芝居も、
    それぞれの個性たっぷりの描き方で、
    幾重にも面白かったです。

    『いつかあなたはここにいて、わたしはいつもそこへいく』

    3.11とその後のことについては、
    多くの作り手の方が様々に見つめ、
    いろんな切り口で描いているし、
    演劇に限らず、私自身もその地方に個人的な知り合いがいて、
    いろんな話を聞いたりもしていて。

    でも、この作品で
    照らされていくものには、
    それらとは、異なる視座や想いの広がりがありました。
    舞台に立ち上がる
    音のない言葉(手話)で表される世界、
    そこに紡がれた物語や今との構造に気づき、
    コアの部分に描かれる刹那が観る側を捉えるとき
    震災以降の座標よりはるかに長い、、
    3.11という原点までの時間たちに想いを馳せ、
    その場所にまで至る日々の重なりに心奪われる。

    その刹那までが失われたのではなく、
    その刹那までの失われたものが抱いていたものが
    霧散していくことの感慨が、深く締め付けるように
    舞台の空気から伝わってきて。
    息を呑みました。

    すっと、新たな視野が開け、
    作り手の今の切り取り方に強く捉えられたことでした。

    (休憩)

    『ヤギさんと永遠』

    ちょっとコミカルな中に
    観る側を引っ張り込むようないろんな仕掛けがあって。
    香水の名前から、[やぎさん郵便の歌]が導かれ、
    そのヤギさんたちの手紙の永遠が織り上げられ、
    さらにその永遠がほどけていく。

    役者たちが纏うロールには、
    会話が特別なものではなく、
    キーボードで紡ぐ仕事の間の
    とても心地よい時間を醸すような雰囲気があって・・。
    だからこそ、ちょっと意外で、でもわくわくするような展開には、
    観る側がいろんなニュアンスをもらうことのできる
    間口の広さと豊かさがうまれる。

    WSなどでも使われた戯曲だそうですけれど、
    さもありなんと思わせる。
    シチュエーションや雰囲気のいろんな可能性がありそう。

    役者の二人にも、そのロジックをただ語るのではなく、
    二人の距離をコントロールしつつ
    キャラクターや距離を自然に纏うよな
    演技のしなやかさがあり、作品のトリガーを
    うまく、空間のテイストに編み上げて。

    そのセンスが洒脱なものに思えたことでした。

    『三月十一日の夜のはなし』

    横浜のSTスポットで同じ役者のお芝居を観ていて。
    でも、飽くことなく、
    そのキャラクターの実存感に惹き込まれてしまいました。

    役者の織り上げる時間や感情に、
    細微にわたる実存感があって、
    それが観る側の自らの記憶の同じ時間の引き出しをあけて
    肌触りや想いを引きだしていく。

    この、一人芝居には
    あるキーになる質感が描き出されると、
    観る側の同じ時間の体験を呼び起こす仕掛けが
    巧みに織り込まれているように思う。
    描かれるのは、とてもリアルなロールの3.11の時間ではあるのですが、
    そこには、戯曲と役者の秀逸で描きこまれた、
    観る側に共振する感覚が内包されているのです。

    よしんば、3年が過ぎ、5年が過ぎて、
    3.11自体の記憶が風化し、あるいは
    冒頭シーンの振り返りの立ち位置が
    時の経過に変質したとしても、
    役者が、この質感を舞台に作り続ける限り、
    再演があれば、
    きっと観客は同じ感覚に浸り、そのときの記憶に戻り、
    自らの歩みを見届けることになるのだろうと思う。

    そんな力を作品に感じたことでした。

    0

    2013/01/23 17:42

    0

    0

このページのQRコードです。

拡大