4Q 公演情報 SCARLET LABEL「4Q」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    初日に観劇
    4つの作品とも、表層に浮かぶものと、
    その奥から沁み出してくる物に、
    異なりがあって。

    4作とも、もれなく、
    作家の描き出す世界に込められた企みと、
    それをしたたかな語り口で引き出す演出、
    さらには、役者達それぞれが醸す色があって
    はまり込んでしまいました。

    ネタバレBOX

    最後の作品を除く3作品は再演とのことですが、私は初見。

    冒頭や場を繋ぐ映像もよく作りこまれていて。
    舞台に引き入れられ、重なっていく作品の印象は残りつつ、
    観る側の舞台に向かい合う意思はちゃんとリセットされて。
    飽くことなく4作品を観ることができました。

    『泡』
    最初は人魚姫の男性版というインパクト勝負かとおもいきや、
    次第に舞台を染めていくのは。
    男に貢ぐ女性の心情の生々しさ。

    ファンタジーの枠組みに踏み出したところから描かれるからこそ、
    観る側が受け取りうる、
    女性の内心の風景があって。
    それは、物語設定の発想の奇抜さを上手く抜け出して、
    たとえばヒモに貢ぐ女性の
    心風景の生々しさへと風景を塗り替えていく。

    役者たちには、物語の表層を担保しつつ、
    その裏地をしたたかに晒す
    ナチュラルな演技の奥行きがあって。

    初日ということで、
    舞台を支配するニュアンスの変化にちょっと飛躍を感じたりもしましたが、
    これは上演を重ねていくうちに
    次第に埋まっていくものであるようにも感じました。

    『型』

    主人公の男性の人形への偏愛ぶりから
    逆算するように、
    彼の内心が解かれていきます。
    その速度というか、
    想いに沁みこんだ自らを支える価値観や、
    それに抗うものへの憎悪や、
    自らを支える他への侮蔑の感情の
    滲み方の脆さや底浅さの現れ方の歩みが
    とてもうまくコントロールされていて。、
    表層からは見えない、男の闇をひとつずつ、
    観る側の印象に塗り重ねていく。

    その濃度とリアリティが
    ラストの踏み出し方を単なる驚愕に終わらせず
    そこにある淡々とした軽さと、因果と、必然を削ぎ出して。

    男の演じ方の刹那ごとの緻密さに加えて、
    人形の留まる身体から最後の最後に立ち上がる
    ワンフレーズの質感の確かさにも
    しっかりと捉えられたことでした。

    『廻』

    死を眺めることへの高揚が
    登場人物たちの建前での繫がりとしてあって、
    でも、その物語の皮膚感の下には、
    いじめの構造がしたたかに裏打ちされていて。

    秘密倶楽部的な閉塞性と
    インモラルな側面が
    そのベースに置かれたいじめの構造に
    必然を織り込んでいく。
    ベーストーンにある嫌悪感と
    そこに満ちたものへの逃避願望のようなものが、
    逆に、主人公の居場所のなさと
    そこにあることの、満ちることがない蝕むような慰安を
    編み上げて、その先に支配と従属の構造の顛末が描かれていく。

    物語の展開は禍々しさに満ちているのですが、
    役者たちのキャラクターは誰一人塗りこめられることなく
    その関係性や、さらには、空気の構造は
    幾重にも変化し、観る側に物語の骨格を組み上げていきます。
    自死の重さと、
    そこに至らしめるほどの悪意の情勢の
    どこか軽質なリアリティに心を閉じることができず
    舞台に解かれていくものを、
    息を詰めて見つめてしまいました。

    『花』

    3.11が借景となり、
    その中から立ち上がる想いの
    ありようが
    とても実直に伝わってきて。

    うまく言えないのですが、
    主人公の、頑迷さに実存感があって、
    だからこそ、彼女の視座から眺めるものを、
    彼女の中に存在するものとして受け取ることができる。
    語の骨組みや仕掛けに気付いたとき
    その、幻影との対話も、
    実はとてもナチュラルなものに思えて。

    役者たちの秀逸が、
    彼女を取り巻く人物たちの彼女との距離も
    刹那ごとに自然な感触で描き上げ、
    彼女の表層と内心のそれぞれを際立たせていく。
    それは、槌音を響かせての復興でもなく、
    想いの鮮やかな昇華でもなく、
    むしろ、主人公の内心は
    その顛末の先にも、
    どこか波のような混沌に支配されている部分が
    完全に払拭された感じはしない。

    でも、そうであっても、舞台に紡がれた
    主人公が自らの扉を少しずつ開いていくことの
    一歩の感触に心を奪われるのです。
    閉塞から抜け出した姿ではなく
    抜け出す歩みを始めた姿だからこその、
    人が自らが抱えきれないものを背負ったその先の
    一条の光の揺らぎや広がりを感じることができて。
    それは、きっと、文字で編み上げることなどできず、
    舞台という空間だからこそ、
    描きうる感覚であるように思う。

    ケアとかいう言葉で丸め込むことのできない、
    無数の心の葛藤に想いを馳せる。
    そのなかで、物語が、
    復興という言葉を織り上げる
    異なる色の糸の一本のありようとして
    深く心に焼付いたことでした。







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    2013/01/16 12:13

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