テロルとそのほか 公演情報 工場の出口「テロルとそのほか」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    他人の思考を思考する作品
    プロセス共有チケットを購入して、最初の稽古見学に行ったのは11月17日だった。
    稽古は合計3回見に行って、12月1日初日の舞台を観た。
    俳優の提出したテーマを作・演出の詩森さんが共有して脚本を書き
    稽古の過程でさらに双方向から意見をぶつけ合って変化させていく。
    この「他人の思考を思考する」というプロセスで創られた作品は
    初日今度は「観客が思考すること」を求めて来た。
    多少なりとも思考する人間は、交差する複数の思考回路へ足を踏み入れるだいご味を味わう。
    漫然と見て「何かくれ」タイプの人には向かない作品かもしれない。

    ネタバレBOX

    作・演出の詩森さんが好きだという、俳優や照明が映えそうな黒っぽい舞台には
    公園にあるようなベンチとテーブル、椅子が全て裏返しになって置かれている。

    やがて私たちが入ってきた入口のドアが少し開いて
    ダークスーツの男が中を一瞥してから入って来た。

    「今不安に思うことは、ターゲット以外の誰かを巻き込むかもしれないということだけだ」
    舞台中央に立ち、テロリストは語り始める。
    「わたくしの一生をすべて無にしてまで撃つべきものは権力である」
    淡々と語るテロリストヒガキを演じる朝倉洋介さんの論理に思わず引き込まれる。
    3ページに及ぶモノローグ、少し手ぶりは入るが足元は微動だにしない。

    稽古でこの人のモノローグの場を見ることが出来なかったことが本当に残念だった。
    完成形に至る不完全なかたちを見ておきたかったのに・・・。
    稽古場で話しかけて下さったとき、
    「自分が提出したテーマでも、台本になって渡されると言いにくいところもあるし、
    自分の言葉だけに熱くなりすぎたりする」
    と笑っていた朝倉さん。
    誰よりも早く台詞が入り、他の人の台詞を受けて変化する余裕さえあった。
    緊張感が途切れないのに力みのない声、直前まで普通の市民として存在した
    まさにテロリストにぴったりなキャラは
    ヒガキか、朝倉洋介か・・・?

    このヒガキを中心に、タカハシ、コレエダ、キジマの4人が久しぶりに集まった。
    共通の友人マエカワが死んだことがきっかけだった。
    その死に方の異様さに、4人は衝撃を受けている。
    中でも、かつてルームシェアしていて親友同士だと思っていたコレエダ(西村壮悟)は
    まだこの事実を冷静に受け止め切れずにいる。
    親友だと思っていた自分が、一言の相談もしてもらえなかったことに打ちのめされている。

    コレエダを演じる西村壮悟さんは、クールな声とルックスで淡々と友人の死を語る。
    稽古の時詩森さんから
    「言えなかった、でも言いたかった、そしてもう言えなくなった言葉」を
    今口にする気持ちを考えるように、というアドバイスがあった。
    西村さんは涙で言葉を詰まらせ、私はそのモノローグに泣いた。
    初日の舞台で、西村さんはもう泣かなかったが、私はやっぱり泣いてしまった。

    キジマ(生井みづき)はそんなコレエダと別れようとしている。
    コレエダも今いっぱいいっぱいだが、キジマもまた別の意味で限界だと思っている。
    放射能や遺伝子組換え食品、食品添加物を浴びるように取り入れて暮らす私たち。
    経済や効率、生産性を優先する世間の価値観と、
    それに反発しつつも完全に排除できない自分の生活。
    そういう自分を説明することを、もう止めたいと思う。
    そしていつか説明しなくても共有できる人と共に過ごしたいと思うのだ。

    超マイペで自分の関心事を常に優先したいキジマの長ゼリ。
    詩森さんが「自分の気持ちを伝えるには事実を伝えることだ」と言ったが
    キジマの目下の最大関心事である食品をとりまく事実をきちんと伝えることが
    キジマの気持ちを伝える効果的な方法だという意味だった。
    カレシの優しさを拒否してでも、今この問題を突き詰めたいという必死さが
    生井さんの台詞からあふれていた。
    その結果客席からは何度も笑いが起こった。
    二人が必死になればなるほど、かみ合わないズレが大きくなって可笑しかった。

    大学生タカハシ(有吉宣人)は、大学を辞めようかと考えている。
    現在の教育システムに失望し、小学校教師を目指して一からやり直そうというのだ。
    ヒガキ先輩に相談して、妙に熱く語ったかと思うと
    自信の無さからか背中を押してもらいたがったり
    とにかくタカハシは自分の回りをぐるぐる回っている。

    タカハシ役の有吉さん、稽古では結構ダメ出しされていたと思う(笑)
    「声が大き過ぎる」に始まって「興奮して喋ってるだけ」「ひとりで空回りしてる」
    「テンションが上がり過ぎて制御不能になった」等々。
    4人の中でひとりあからさまにオロオロするキャラだから、難しいこともあるだろう。
    狂言回しとしての役割もあって切り替えも必要だ。
    だが本番で私はタカハシの空回りに人柄の良さを感じた。
    「なにみんな平気な顔して遺品整理してんですか!?」という
    “ウザいけどいい奴”キャラが、有吉さんにはまっていたと思う。

    4人の俳優が提出したテーマにそれぞれデータによる裏付けをして、厳選した台詞で語らせる。
    詩森ろばさんの脚本は巧みな構成で交差する4つの人生を描く。
    静かな落ち着いた場面転換の動きや映像の使い方も洗練されている。
    いずれも岐路に立つ出来事を抱えている4人のうち
    未来を語るタカハシの言葉で終わるというのもよかったと思う。
    はっきりしなかったタカハシに最終決断させたのはテロリストヒガキの存在と行動であった。
    「その行動を支持はしないが、ヒガキ先輩は大好きだ」というタカハシがとても良い。

    稽古場とは比べ物にならない空間の違いが、距離感を変え台詞を変える。
    改めて企画の意図とキャスティングの妙が面白かった。
    俳優個人と役が重なって、台詞が自分の言葉になる。
    考えてみれば「他人の思考を思考する」とは演劇の原点であり
    コミュニケーションの原点ではないか。
    作・演と俳優、俳優と俳優、作品と観客、皆他者の心理を想像するところから始まる。
    一番難しくて、誰もが欠落していて、でも上手く行けばこの上なく幸せな作業だなあと思った。

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    2012/12/03 00:22

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