いつも心だけが追いつかない(終演御礼。ご感想お待ちしています。ワンダーランド・10月期クロスレービュー対象公演なのでぜひご投稿を) 公演情報 MU「いつも心だけが追いつかない(終演御礼。ご感想お待ちしています。ワンダーランド・10月期クロスレービュー対象公演なのでぜひご投稿を)」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    光さす −−− 笑ったけどなんかいい感じ
    この数回ぐらいから、MUってコメディ濃度が徐々に高くなっている印象。

    今回も笑わせてくれる。
    もう、コメディって言ってもいいんじゃないだろうか。

    って思いつつ観ていたが、笑いという面では確かにそうだったのだが…。

    ネタバレBOX

    MUの学園モノは、ハセガワアユムさんの「学校」という集団(生活)との距離感というか、意識がうかがえる作品ではないだろうか。
    前から勝手にハセガワアユムさんって、「集団」(人が集まることについて)に嫌悪のようになものを感じているのではないかと思っていた。学校なんていうのは、まさにそういう場所であり、最初に体験する集団生活(社会)ではないかと思う。

    以前上演した学園モノ『5分だけあげる』は、そんな魂を、教師を通して描いたように感じた作品だった。特に「先生」とかキライじゃないかと思うような匂いが…。
    それは、私自身にトレースして観ていたことによるのかもしれないのだが、ソレを刺激したのは、やはり作品の持つそういうものに対する嫌悪のようなものではなかったと、責任転嫁しておく(笑)。

    今回もそれは教師たちの描き方から、多少は感じられるのだが、『5分だけ…』ほどではない。嫌悪というより、少し憐れにさえ感じてくる。この変化は何を意味しているのか、あるいは意味していないのか。それはラストに明かされると言っていいと思う。

    物語の主人公は、美術教師。彼は教師をしながら個展を開き、自らの存在価値をそこに求めているようだ。教師は「仕事」としてやっているということのようだ。

    「お金を稼ぐための仕事」が教師で、「自分が本当にやるべき仕事」は絵を描くこと、というところだろう。もちろんそれは単純に2つに分けることはできない。教師の仕事にはやりがいもあるだろうし、絵を描くことが自らを縛ってしまうこともある。

    こういう2つの「仕事」を抱えている人は多いのではないだろうか。例えば、演劇関係者とか、インディーズ・バンドをやってる人たちとか。
    その中の多くの人たちは、別に本業があり、芝居や音楽もしている人もいるだろうし、バイトをしながら芝居や音楽を本業としようといている人もいるだろう。また、彼らだけではなく、「今の仕事は自分がやるべき仕事ではない」と日頃思っている人も多いのではないかと思う。

    つまり、安田のことが、自らとダブって、きつかった観客もいたのではないだろうか。
    彼の苦悩に共感できる人もいたと思う。

    ただし、物語はそんなシビアな展開だけではない。彼の女装癖と相談に来た女生徒、そして彼らを取り巻く人々が絡み合って、騒動になっていく。

    女生徒の彼氏・岡山の飛び道具感がいい。彼がスパーンと出てきて、舞台をかき回す。そのお陰で、安田の女装というハードルが一気に低くなり、その後にスムーズにつなかっていくという展開が巧みだ。
    あと、毎回、どんどんテンポ良く放り込んでくる台詞が鮮やかだし。

    ドタバタありつつも、絵も女装も、教師も、全部、私なんだ、と訴える安田。
    コートを脱いで女生徒の体育着を見せる姿は、彼自身の戸惑いの姿でもあろう。つまり、絵を描いて個展を開くための、生活基盤として選んだ教師という職業が、絵を描くこと自体を鈍らせてしまっているし、絵を描き個展を開くということが、生活の基盤である教師という仕事も鈍らせてしまっていて、そのバランスがうまく取れなくなっているのだ。

    これって、先に書いたが、思い当たるフシがある観客にとっては、結構イタイ展開ではないのかと思う。しかも、(たぶん)理解者であったであろう、妻とは離婚調停中なのだから。

    そしてラスト。
    オチっぽいラストを想像していたのだが、それは軽く蹴飛ばされた。

    そこには美しいラストがあった。

    互いに考えていることは違っていても、満たされないモヤモヤな不安を抱えている他人同士が、言葉にするのには難しい何かの1点で、心が美しく触れ合う、光あるラストだと思う。恋愛ではない、人同士の接触。
    70分という時間は手頃なのだが、こうなってくると、安田と岬の内面を描くようなエピソードがもう少し欲しかったかな。90分ぐらいとかにして。

    勝手な思い込みかもしれないが、かつてのMUで感じていたイメージのラストであったとしたら、こんな光さすラストにはならず、虚無感のみが支配したのではないかと思う。
    MUはソロからバンド(劇団)になったことによる効果のひとつなのかもしれないと密かに思ったりした。

    女子高生・岬役の小園菜奈さんは、フライヤーの写真よりもナマのほうがずっとよかった。古橋先生役の古市海見子さんの、強い存在も印象に残る。

    手を怪我していて、ソバ屋のメニューも開けなかった板倉先生は、手を叩いたり、モノをつかんだりしていたのだが、あれは、健気さアピールで手は大したことなかったと受け取っていいのかな。
    あと、「ぶっ飛んだ」の単語が数回出てきたが、これは言葉が強すぎる割りにはなんかイマイチ。もう少ししっくりくる言葉はなかったのだろうか。

    ついでに書いてしまうと、安田先生は女装した姿を見せて、教師仲間に「どうだ」と迫り、ラストに岬にも見せようとするのは、ストーリー的には安田先生の内面吐露の爆発なのだろうが、ひょっとしたら、女装しただけでは飽きたらず、ついに、「私のこの姿を誰かに見てほしい」という、女装趣味の階段をもう一歩上がって、(さらに罵倒されたい願望もありの・笑)新たなステージに踏み出したのではないか、なんて思ったりもしたのだ。先生とかキチンとした職業っぽい人の犯罪に多そうな展開になっているのではないかな(って、やっぱり先生をdisってる?・笑)。

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    2012/10/07 08:16

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  • コメントありがとうございます。

    ラストは美しかったですねー。
    もうちよっと余韻もほしかったような。
    でも、長ければいいわけでもないような気もしたりして…。

    次回も楽しみにいたします。

    2012/10/15 04:55

    こんばんは、MU制作部です。

    コメントありがとうございます!

    苦悩に共感したり、我が身に重ねては胸を詰まらせたり。
    優しいのかそうでないのか、悩むところではありますが
    全てはラストに込められているかと思います。

    このたびは御来場、まことにありがとうございました!!
    次回公演は12月COREDOにて。どうぞご期待ください。

    2012/10/14 19:23

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