満足度★★★★★
さようなら、そしていつかまた
「小倉には、三、四歳のころ住んでました」
アフタートークで、開口一番、イッセー尾形はそう語った。
父親が転勤族だったため、福岡を「故郷」と感じることはあまりない、と著書『正解ご無用』に書いている。
「子供の頃は、坂道を、電車を追いかけるのが好きでした。電車の『匂い』が好きで。そんな小倉に、こうして戻ってきて舞台に立っているのが何とも感慨深くて」
故郷とは思えなくても、「何か懐かしい空気」を感じているのだろうか。「休眠」前の舞台で、イッセー尾形は恐らく初めてではないかと思われる「博多のサラリーマン」を演じた。それが故郷への「恩返し」のつもりなのかどうか、それはよく分からない。「恩」とか「義理」とか「絆」とか、そんなものは「しがらみ」程度にしかイッセー氏は考えていないようにも見える。しかし、「受け手」である観客は、確かにあの傲岸不遜な「博多んもん」の活写に、逆説的な「愛」を感じるのである。
イッセー尾形の一人芝居に、最初に「感服」したのは、もう20年も前のことだ(「お笑いスター誕生」に出演していた頃にも観ていたはずだが記憶にない)。満員電車で姿勢を変えることができずに身体を歪めたまま固まってしまったサラリーマンのスケッチで、その身体表現に舌を巻いた。
日本において一世を風靡したスタンダップコメディアンと言えば、古くはトニー谷、そしてタモリの二人を挙げることが出来るが、小林信彦は『日本の喜劇人』の中で、この二人に共通する欠点として、「腰から下の弱さ」を挙げている。彼らに限らず、日本の「ピン芸人」と称する喜劇人たちは、概して自身の身体性に無頓着である。
イッセー尾形の身体のバランスのよさは、同時代の喜劇人たちと比べて突出していた。特に「腰から下」が強かった。演出家の森田雄三と知り合ったのが建設作業の現場だということだから、そこで鍛えられたものだろう。
もちろん、それだけでイッセー尾形の芸の真髄を語れるわけではない。これもまた稀有と言うべき彼の人間観察眼によって捉えられた、フツーだがちょっとヘンな人々の姿が、その身体を媒介として再現される時、「現代日本」の様相が象徴的に浮かび上がる。その点が、イッセー尾形の一人芝居を、他の一人芝居と隔絶した孤高なものにしてきたのだ。
イッセー尾形の一人芝居は、観客を大いに笑わせつつ、明確な批評性を持っている。休眠後、映像を通しての活動は続けていくとしても、舞台に復帰するかどうかは未定だ。あの300を超えるという一癖も二癖もあるキャラクターたちと会えなくなると言うのは何とも寂しい。ゆっくり休養していただきたいと思う反面、早期の舞台復帰を望むのはワガママに過ぎるだろうか。
九州では、あと8月3日から3日間、福岡天神のイムズホールで公演予定。小倉とはまたネタを変えるそうである。