MY SWEET BOOTLEG(ご来場ありがとうございました!御感想お待ちしています!次回は10月上旬、同劇場にて) 公演情報 MU「MY SWEET BOOTLEG(ご来場ありがとうございました!御感想お待ちしています!次回は10月上旬、同劇場にて)」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    MUらしいと言えばらしい、ネジくれた感覚
    タイトル、テーマ、会場、フライヤー、そして公演そのものまで見事にMU。
    このトータルコーディネートのセンスがいい。
    個人的にはタイトルがツボ。
    後半ちょっと加速する感じがうまい。笑いもある。
    しかし、もっと「毒」は欲しい。

    ネタバレBOX

    ブートレグと言えば、大昔、ブート専門店で買ったヤードバーズのレコードが私の最初の出会い。ヤードバーズのレコードはもちろん全部廃盤だったので、ブート以外に手に入れることはできなかった。そのブートレコードでは、J・ペイジとJ・ベックのツインリードで有名な、『Train Kept A-Rollin』の歌詞違い、幻の曲『Stroll On』に痺れ、何回も何回も聴いたものだ。

    で、この公演のフライヤーである。どうやらミケランジェロ・アントニオーニの『Blow Up(邦題:欲望)』のポスターからインスパイアされた構図の写真が表面に使われている。ミケランジェロ・アントニオーニと言えば「愛の不毛」なので、MUにはなんかぴったりくる。
    しかしここで言いたいのはそうではなく、『Blow Up』と言えば、ヤードバーズが劇中で『Stroll On』を演奏していることがロックファン的には有名な映画なのだ。
    ということで、ブートにまつわる個人的な記憶とMUが、あれあれと言う間に結びつく。フライヤー見てちょっとだけ驚いた。

    と、まあ、どうでもいい個人的、感傷的な導入からの、この公演のこと。
    ストーリーはフライヤー等にも書いてあるとおり、あるマンガ家とそのマンガをもとにした同人誌を書く女子たちのあれこれである。

    ブートというのは、多くはライブを勝手に録音して、アーチストの承諾を得ず売ってしまうものであり、中身はホンモノがやってるけど、作品としてはニセモノであるというものである。

    ブートとオフィシャルリリースは、ホンモノとニセモノの境界ははっきりしている。しかし、買う側からすれば、ブートはニセモノと知っているけれど、ホンモノでもあるから買うのであるという、実に曖昧な世界にある。
    しかも、当たり前だが、ニセモノは売ることができないはずなのに、ヨーロッパで作っているCDです、というインチキな建前で、堂々と売られている。こんなことは日本だけらしい。胡散臭く、ホントは真っ黒なのに、灰色ですよ、と言い張る。

    舞台の内容も、ホンモノとニセモノの境界ははっきりしているのに、「商品」として存在するところにおいては、曖昧になっていく、オリジナルと同人マンガの微妙なラインが描かれていく。同人誌の「二次創作物」は、「黙認」という形で、堂々と作られ販売されていく。いわゆるブートとは違うのだが、その曖昧さにおいては同等だ。
    劇中での「コスプレ」なんていうのもそうだ。また、マンガ家の男の恋愛対象さえも、境界線ははっきりしているはずなのに、曖昧。自分でもよくわからない。
    デモに行ってるのも、どこまでホンモノなのか、なんていうところまで見せたりする。
    「萌え」が「過去の記憶のすり替え」みたいなこととして描かれており、それもホンモノとニセモノははっきりしているのに、脳内では曖昧になっている。

    ここで、冒頭の映画『Blow Up』に戻るわけなのだが、この映画は、「本当にそれは起こったのか?」と、虚・実が曖昧になるストーリー。ラストには、それが実に印象的なシーンで表される。なので、見終わって、フライヤー見て、またニヤリとしてしまうのだ。

    同人マンガでありながら、「創作」という点においては「オリジナル」であることを、同人マンガ家の女は意識している。彼女たちに犯されてしまった「オリジナルマンガ」を描いているはずのマンガ家が、逆に彼女たちの「オリジナル」を犯していくというあたりからMUっぽくなっていき、ストーリーに加速度が増していく。

    いろんなことが曖昧になりながらも、微妙なコミュニティーが成り立ち、一見、バラパラだった人たちが結びついていく。
    しかし、その蜜月はあまりにも短く、1人の恋愛感情によって破壊されていく。ちょっとした出会いが、マンガ家と同人マンガ家たちとの関係だけでなく、その前にあった、マンガ家と店長、同人マンガ家の2人の女性たちの関係も「個」にしていくのだ。
    もともと、いろんなことに不器用そうで、いかにもグラグラした不安定な足場の上に立っている、この4人だから、軽い一押しで簡単に壊れてしまう。
    そういうものとは無縁の同人マンガを描いている女の妹・ミカには、関係ない出来事である、という視点が入るところがいいのだ。

    かつてのMUの作品には、誰にも埋めることができない「虚無」を強く感じていた。今回もそういう片鱗はあるのだが、少し角度が変わってきたように思える。
    もちろんそれはそれでいいのだが、個人的な好みとしては、もっと「痛く」てもいいような気がする。それが強すぎると、観客の中に生まれるリアリティの範疇を超えてしまい、作り物っぽくなっていまうのはわかるのだが、それでももっと攻めてほしいと思う。

    こういう言い方は失礼なのかもしれないが、MUは「うまくまとめてきすぎ」ではないかと思う。特に今回の、この作品ではそれを感じた。
    「うまくまとめる」ことは、大切なことなのかもしれないが、丁度、当パンにハセガワさんが書いているように「映画と演劇の違い」という点からも、「映画では重視している構成」はぶっ壊して、「演劇は台詞」にすべてを託して、ナマのありようを見せていいんじゃないかと思うのだ。MUの舞台は台詞が濃厚だから。

    だから、今回のエンディングで言えば、犯人は店長以外に考えられないと観客の誰もが思っているはずだから(そう思えない観客は捨ててもいい・笑)、あえて店長の姿をラストに見せる必要はなかったのではないかと思うのだ。行方を眩ましたまま。
    そこでは、バラバラになった登場人物たちのバラバラさを感じさせるラストか、または、唯一彼らのコミュニティに(本当は)いなかったリア充ギャルの姿でもよかったのではないだろうか。
    あるいは、冒頭のシーンとのつながりで、店長が(斬られる)ポーズを取り、彼が死んだのではないか、と思わせるようなものでもよかったのではないかと思う。
    まあ、素人が今思いついたことだけど…。

    ついでに書くと、「中野ブロードウェイ」よりは「池袋・乙女ロード」界隈のほうがBL同人誌っぽいのでは?
    あと、同人誌を描く2人の女性の台詞回しは、まるで自分自身だけに向けて話しているふうな感じのほうが「一人感」が出たように思える。
    店長の、オネェ言葉じゃないのに、語尾のちょっとしたニュアンスで、ソレと感じさせる台詞回しは良かった。

    MUから底なしの虚無感が(ストレートに)感じられなくなったのは、劇団化という、「リア充」のせいではないか、と勝手に思っている(笑)。
    いや、冗談はさておき、劇団化することで、新しく変化していくのはとても楽しみだ。

    MUはこの作品以降、こうしたバーやカフェでの公演を定期的に行うということなので、「劇団」としての「練りの時間」がいい感じに取れていくのではないだろうか。だから期待できる。

    また、上演時間70分ぐらいなので、観ることが負担にならず、飲食OK、しかも笑いがあって、アイロニーもありの、気が利いている演劇は、平日アフター5に丁度いい。
    バーやカフェでの公演は、今までも多くあったが、単なる「演劇の会場」としての、パーやカフェということではなく、きちんと方向性とポリシーをもって公演を打つことで、うまくすれば文化として定着するのではないかと、やっぱり期待している。
    面白い試みだ。

    あと、客入れの音楽は、せっかくだからスマパンのブートとかがいいのでは。それってベタすぎ?(笑)


    参考(笑) → The Yardbirds『Stroll On』@『Blow Up』
    http://youtu.be/p8ff13foV5E

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    2012/07/26 06:21

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  • と、いうことで私も削除します。
    再開後、行けないのが残念ではありますが、再開後の皆さんの反応も楽しみです。

    2012/07/28 11:11

    そうですね、肝だけに。わかりました。一端削除してあとでまた書きますね。

    2012/07/28 10:51

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