ミュージカル 湖の白鳥 公演情報 劇団あおきりみかん「ミュージカル 湖の白鳥」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    ホントは、キッツイ話のミュージカル
    あおきりみかんって、過去の何回か観ていて、面白いと思いながらも、日程的に合わなかったこともあり、なかなか観ることができなかった。
    あと、なんかビミョー感もあったりして、ムリしても行こうという…。

    ま、とにかく日程合って、久々の観劇。

    26回目の公演にして、初のミュージカルという。
    「ミュージカル?」というキーワードがかなりグッときたこともある。

    ネタバレBOX

    まずは、劇場に入ってどーんと置いてある白鳥号のセットに驚く。
    内容もそのセットに負けないぐらい、どどーんと、とても面白い!

    歌うのは、昭和歌謡感溢れる、デュエットソングやアイドル歌謡、演歌に、フォークというよりはニューミュージックな楽曲。これは楽しい。
    さらに衣装も凝っているし、小道具も多い。
    フル装備の舞台。

    「やればできる」けど、「やらない」という、言い訳で30歳過ぎまでやってきた男・白鳥(しらとり)の物語。
    白鳥はある決意を胸に、粉代湖(こなわしろこ)の白鳥号をチャーターし、湖の中央へと急がせる。
    彼は、この物語の主人公であることで、歌うことを意識しながら(メタな感じな)、自分の過去を振り返る。
    彼の成功物語は、すべて妄想であり、それは「やればできる」のだが、「やらないできた」ことを正当化したものであった。
    彼の前には「女」が表れ、歌うことを促す。彼女は「オデット」と名乗る。彼が「歌う」ことは、彼が気づくことでもある。
    そう、『白鳥の湖』の「白鳥」なのだ。

    とにかくこのオデット役の木村仁美さんが、歌が抜群にうまい。
    それに比べてしまうと、特に男性陣の歌は……である。
    彼女がいるからこの舞台は成り立っていると言っても過言でないだろう。
    だけど、「アイドル」なときの歌の下手さが逆にリアルだったりもするのだか。

    ストーリーの巧みさもある。
    例えば、お芝居のお約束で、一人の人が何役もこなすというのは当然で、「ああ、別の人なんだな」と思って観ていたら、実は同じ人だった、という展開が随所にあって、面白い! と思ってしまう。
    後に書く、キッツイ、テーマの盛り込み方も凄いと思う。
    ラストの本水の使い方や、微妙な高さの宙乗りと、見どころも満載。

    物語は、主人公・白鳥の過去の妄想を関係者たちが繰り広げていくのだが、そこに現実も少しずつ姿を重ねていく。

    マルキューというスーパーで今もバイトのまま働き、舞台に立つ白鳥。
    白鳥の姿は、今現在、バイトをしながら、演劇や音楽活動をしている人たちにとっては、かなりキツイ存在ではないだろうか。

    すなわち、「自分には才能がある」と言い張るしかない。そうでも言わなければ、自分の存在価値が脅かされてしまうのだ。
    かつて東京に出ていたものの、夢破れ(白鳥本人はそれを認めてないが)、故郷に帰り、でも演劇を続けている白鳥は、「東京に行く」という後輩に、歪んだ想いのまま、「行ってもしょうがない」と諭す。
    さらに(ほぼ)同郷で、スターになった百舌鳥沢に対しては、かつて同じアイドルグループにいたという妄想の末、仮想敵として位置づけ、ラストになだれ込む。

    つまり、百舌鳥沢は、成功した者の代表であり、白鳥にとっては、「自分はやれば(やり続ければ)、成功してしまう」と言い続けている惨めさをぶつける相手でもあるのだ。

    彼のこの湖への航海は、まさに「後悔」のなれの果てでもあるのだが、それでも自分の妄想と現実の狭間のまま、湖の中央へ進む。

    ラストは、百舌鳥沢と、白鳥が自分の側にいると思っている男たちとの歌合戦になり、白鳥は、百舌鳥沢に「負けた」と、妄想で言わせるのだが、やはり自分を偽ることはできない。

    自分の側にいると考えている男たちは、すべて「自分の夢を諦めてきた男たち」なのだ。
    つまり、白鳥は、実は芝居も、作詞(歌)も、何もかも、最後までやり遂げなかったということは、途中で諦めてしまった、彼らと同等であるということを知っていて、さらに、「最後までやり遂げなかった」ことは、「自分に才能がないことを知ってしまうのが恐かった」というこにも、薄々感づいているのではないだろうか。

    ここまで物語が来ると、白鳥と同じような境遇で、打ち上げなどで、「才能があってもチャンスが…」なんて、酔っぱらいながら、くだ巻いている人たちは、(ひょっとしたら)舞台を正視できなかったかもしれないのでは、なんて思ったりもした。

    ラストは、白鳥が、当初の予定どおり、湖の中央から、彼が小学生のときに唯一がんばってやったことのある「バタフライ」で、スーパーで働いているときに好意を寄せていた女性のもとに泳いでいく、というもので、それは、彼が原点に立ち戻り、出直すという、強い決意の表れではないかと思ったのだ。

    全員で演奏ってのもよかったな。あんまり上手くはないけど、その上手くなさが逆に主人公の心情や状況にマッチしているようで。

    ここで、ハタと気づくのは、最初に、公演のチラシを全員が手にして歌う「白鳥はこの舞台の主人公だ」と歌う、楽しいシーンのこと。
    最初のほうに書いた、「彼が「歌う」ことは、彼が気づくことでもある」ということは、つまり、「彼が、自分がこの物語の主人公である」ということに「気づく」ということである。

    すなわち、夢破れていろんなことをしている男たちだって、白鳥と同様に、すべて「自分の物語の主人公である」ということをも指しているではないのだろうか。これって深読みしすぎ…?。

    つまり、このキッツイ話のミュージカルは、そういう応援歌的なミュージカルであったのではないかと思うのだ。

    さらに彼がオデットに気づかされ、原点に返って、最後までやり遂げることを決意する、というのは、これを演じている「あおきりみかん」の役者たちの決意でもあるのではないかと思ったのだ。

    「おおお!」と思った一瞬だった。鳥肌   は、立たないけど。

    しかし、そういうストーリーが進んでいくのだか、いくつか腑に落ちない点があるのだ。
    観いてるときにはまったく気にならなかったのだが、帰りながら舞台のことを反芻していくにつれて、いろいろと。

    まずは、彼が思いを寄せた女性・鷺沼には、その気持ちを打ち明けることができないまま、別れてしまう。その後彼女は結婚し、子どもも授かっていて幸せのように見える。
    そんな女性のもとに泳いで行っていいのか? ということだ。
    もちろん、自分の道を見直す決意の象徴としての、彼女であり、実際にその女性に会うかどうかは定かではないが、それでも「変な感じ」がしてしまう。

    それは、彼に自分のことを気づかせた女性、すなわち、オデットと名乗った小学生のときの同級生の女性の存在があるからだ。
    白鳥は彼女がいつも見てくれていたのだ、ということに少し感動しつつも、「気がつかなかった」と言う。それに対してオデットは「興味がないから気がつかなかったのよ」と哀しい台詞を口にする。
    で、「ああ、そうか、自分にはこんな人がいてくれたんだ」と彼女に存在に気づき、彼女(オデット)のもとへ行くのかと思っていたのだ。「白鳥の湖」の王女と王子のように。
    ところが、彼はそんな彼女はなかったように振る舞い、すでに結婚している女性のもとへ泳いでいこうとするのだ。
    これって結構イタイ話になってないだろうか。

    また、主人公・白鳥は最初から最後に行うことを決意して乗船したのであって、船の上の出来事は、すべてこの日までの一連の彼の中のストーリーだとしたら、彼の友人たちや船の副館長との関係がわからなくなってしまう。すべてが白鳥の妄想だとすると、かなり恐い話だし。

    そんなことを思った。

    それとついでに書いてしまうと、最初に「面白いと思いながらも、ビミョー感もあったり」と書いたのだが、その「ビミョー感」の源泉がわかったような気が少しした。

    それは、アフタートークで、ゆるキャラの着ぐるみ衣装は最初なかったのだが、演じる役者が作りたいと言ったのでOKしたというようなことを言っていたのだ。

    つまり、これって、最初は、「ゆるキャラ」という設定で、「素」の役者のまま演じる予定だったのではないか、と思った。したがって、「着ぐるみ」を来てしまったら「素」で出てきて「ゆるキャラです」ということの面白さを消してしまっているのではないかということだ。
    どうやらこの劇団はとても仲がいいらしく、いろいろなアイデアとか出てきたりして、最初のシナリオと役が変わったりしているようなのだ。
    そうやって作り上げていくことには異論はないのだが、ひょっとして、そういう面白さを全部取り上げてしまうことで、全体がぼやけてしまうことになってはいないか、ということがある。
    例えば、白鳥が思いを寄せていた女性は、彼の最初の妄想、次にリアルな現実、さらにスーパー時代と、3つのシーンで登場するのだが、それに合った衣装でわざわざ登場してくる。
    それって、例えば、持ち物とかエプロンぐらいの違いでいいのに、わざわざ変えたりしたのは、(最初からのアイデアなのかもしれないが)やっぱりやりすぎじゃないかと思ってしまうのだ。

    彼女はストーリーの中心にいるのだから、それぐらいはいいのかもしれないが、歌合戦とときに、白い服を着ているオデットが、またその上に白い服を着て、となってくると、それはどうかな、とさすがに思う。
    さらに、ラストに白鳥が飛び込むにあたって、わざわざ水着に着替えるのだが、それだって、もともとそう言う目的で乗船したのだが、プールに行くときの定番のように、下に着込んでいて当然と思うのだが。

    そんな個々のアイデアとか面白さを多く取り上げすぎることが、ひょっとしたら……なんて考えてしまったのだ。
    確かに個々は面白いし、それを見つける楽しさもあるのだが。

    あと気になったのは、登場人物全員が「白鳥」にちなんで鳥の名前かと思っていたら、そうでもないのだが、それってどうしてだろう。別にいいのだが。

    そんなこんなもありながらも、結局のところは、この舞台は、もの凄く面白かった。

    次回は、座・高円寺で、オイスターズとやるらしい。オイスターズも好きな劇団なので、予約するしかないでしょう、と思っている。


    ……しかし、このストーリーって、演じた役者の皆さんは、自分たちに振り返ってみて、どう感じたんだろう。
    自分たちは才能あるから大丈夫、とか、かな?……笑。

    調子に乗って長く書きすぎた。深夜のテンション失礼。

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    2012/06/24 09:07

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