満足度★★★★★
入場料からはちょっと想像できない
簡素で抽象的な舞台美術ながら、
東京の公演では珍しい?
細部まで物語の時間軸が練られた、洗練された舞台でした。
・・最近ずっと、ぼんやりとは感じていたのです。
それは、どうもこれが日本の最先端と言って良いのかは分からないけれど、
とにかく、「静かな演劇」から派生したと見られる
画面の細部まで巧妙に手入れされた、
小さく、一見地味ではあるのだけれど、
極めて高性能な一連の流れの作品が、
どうも春風舎近辺を中心に興隆しつつあるという感覚。
ちなみに今回の舞台も、観ていてなんだか「変」だな、とは、思っていたのです。
・・まるで映画のように自然に頭の中に物語が入ってきて話の流れは理解できる。
ただ、よくよく考えてみると、
舞台を観ている自分たちに流れる一定の時間(当たり前です
とは別に、舞台の中で30分から数十日の時間の流れが、
まるで自在に伸縮するかのように、
伸び縮みしながら流れていくのです。
その際、物語の時間の流れが不自然に途切れたりなどはしません。
物語は物語へと、実に自然に次の場面へと連なっていくのです。
その中で、役者たちは大げさに飛び回りなどしません。
せいぜいゆったりと歩いたり立ち止まったりする程度。
照明だって、音響だって、まったく特殊な使い方はしていません。
あくまで淡々と。
その中で本当に巧妙に、自然に、
時間の流れが伸びたり縮んだりしているのです。
アフタートークで、この作品の完成に二年間を掛けたとうのを聴いて納得しました。
別に時間を掛ければいいというものでもないですが、
この作品は、時間をかけることで無駄を極限まで省き、
役者さんたちの立ち位置も最短距離で結ばれている印象です。
ちなみにこのトークでの、難解な役柄に挑戦したかったという主宰の言葉で
この作品の中で最も難しいと思われる役を、
主宰が完全にこなしていたこともまた、納得できました。
自分が石原正一氏の舞台が好きな理由として、
彼が舞台上で踊ってコントロールし、
どんな時も顔が見える作品に仕上げていることがありますが、
もし、石原正一が柱谷だとすれば(ここではあえてブラジル人とは言わない(苦笑
今回の主宰は、まるでベッケンバウアーがオランダ代表を率いていたように(笑
今回の少数の役者・スタッフを舞台上からコントロールしていたように見えた。
その結果として、
東京の公演では珍しい(苦笑
お金よりは、遥かに時間と頭(才能)を注ぎ込んだ、
極めて洗練された意欲的な作品に仕上がっていた。
自分としては、今回の作品は、
平田オリザ氏と以前新国立で上演された岡田利規氏の「タトゥー」の中間のような
映像的な舞台作品に(あくまでイメージ上です)
仕上がっていたように思います。
入場料からは想像もできない
血と汗の詰まった作品に仕上がっていて、
情報過多の東京では珍しい?
非常に舞台作品に対して真摯な態度で向かい合った末の作品であることがよく分かりました。
(通常であれば、これだけの作品であれば、多少は自分たちの
作品的な技巧を際立たせ、印象付けようと(別に悪いことではないです
各所を配置してしまいがちなのですが、この作品にはそういうところが無く、
あくまで淡々と進んでいくのです・・それは品の良さと言ってもいいかもしれません・・)
やっぱり今は、春風舎からはちょっと目が離せないなぁ・・(笑