満足度★
シロウトだからではない
『再/生』を楽しく観ることができたので、こちらも期待して観に行った。
結果を言えば、ワークショップのシステムは面白かったが、出来上がった作品は何一つ見所のないつまらないもので、すっかり落胆してしまった。
シロウトの集まりだからつまらなくなっているわけではない。ワークショップのやり方そのもの、多田淳之介の演出自体に重大な欠陥があるのだ。『再/生』と違って、この発表会の方は、観客の想像力が一切喚起されない。観客は置いてきぼりを喰らってしまうのである。
想像力が喚起されないのは当然である。多田氏は、このワークショップでは、『再/生』とは全く正反対の演出を施している。アフタートークで多田氏自身が発言していたことだが、『再/生』は俳優同士にコミュニケーションを一切取らせなかった。それに対して、ワークショップは、コミュニケーションをとらせることをテーマにしているのだ。
コミュニケーションを取らせなかったからこそ演劇として成立していた舞台を、根底から覆すような演出を試みれば、演劇になりようがないのは自明ではないか。
『再/生』の舞台に立っていたのは、紛れもなく「俳優」であり、一人一人が「人生」を背負ったキャラクターとして生きていた。しかしワークショップの舞台に立っている人たちは、ただの「ワークショップの参加者」でしかない。そうとしか見えない人々に対して、想像を働かせることは不可能である。
これはただのワークショップ発表会であって、演劇ではない、という言い訳は成り立たないだろう。「演劇LOVE」とまでタイトルに堂々と冠しているのだから、たとえ出演者がシロウトであろうと、出来上がったものは「演劇」になっていなければ、看板に偽りありと誹られても仕方がないはずだ。
どうにも理解不能に陥ってしまうのは、どうして多田氏は、一目瞭然、できあがったものが、演劇にも何にもなっていないという、単純な事実に気付かなかったのだろうかということだ。それとも舞台上の登場人物がただ雑然と行き来するだけの舞台が、演劇として成立しているとでも思っているのだろうか。
多田氏も果たして演劇人としての腕が一流なのか三流なのか、よく分からないところがあるようだ。