東儀秀樹 雅楽ワークショップ&ミニライブ 公演情報 そぴあしんぐう「東儀秀樹 雅楽ワークショップ&ミニライブ」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    掌上のミクロコスモス
     会場のそぴあしんぐうは、新宮町の片田舎、交通アクセスも頗る悪い位置にあるので、いつどの公演を観に行っても、満席になっていたのを観たことがない。このCoRichにも企画制作としても劇場としても一切の記載がなく、演劇ファンからは殆ど無視されている有様だった。
     時折、おもしろい公演もあるので、もったいないよなあと思って、関係者でもないのにこうして公演情報をアップしてみたのだが、そぴあにしては珍しく、今回の公演はチケット完売、595席の大ホールが満席であった。さすがは東儀秀樹、ということなのであろう。

     テレビなどで雅楽を漫然と聴いたことはあるが、専門的な知識のない全くの初心者なので、東儀さんのお話はすべて新鮮な驚きに満ちていた。漠然と抱いていたイメージに「言葉」が与えられることで、「そうだったのか!」と目から鱗が落ちる喜びである。
     雅楽初心者向けのワークショップであるから、どのステージでも同じ内容のレクチャーをされているのであろう。従って一度体験したら、あとは普通のコンサートに行くなり、CDを聞くなりすればよいものなのであろうが、やはり実際に鳳笙(ほうしょう)、篳篥(ひちりき)、龍笛(りゅうてき)と言った和楽器を吹けるのが嬉しい。機会があればまた参加したいものだ。

     600人を相手のレクチャーであるから、残念ながら東儀さんに手取り足取り教えて貰うというわけにはいかない。
     吹き方だけを教えられて、あとはロビーで用意された楽器をご自由に、という流れではあったが、いつでもどこででも触れられる類のものではない。不器用ゆえに何とか音らしきものを出せただけで精一杯だったが、それで充分満足であった。

    ネタバレBOX

     狩衣(かりぎぬ)姿の東儀さんが、鳳笙を吹きながら客席に登場する。ステージに上がって、まずは当時の貴族の服装についての解説。「狩衣は当時の普段着で、もちろん私もコンビニに行く時はいつも狩衣で馬に乗っています」と会場の笑いを誘う。
     基本的に当時の衣装はワンサイズしかなく、にもかかわらず大男でも小男でも着ることができたのは、伸縮自在な「仕掛け」があるから。型紙も正方形で、畳むのが楽でシワにもならない。単衣(ひとえ)は何枚でも重ね着ができて、四季の変化に対応できる。実は洋服よりもずっと機能性に優れているのである。
     以前から感じていたことではあるが、日本人が和装をやめてしまったことは全くもったいない話だと感じた。

     続いて、雅楽は現存する世界最古の管弦楽、オーケストラであり、音楽そのもののルーツだと言えることを論証していく。
     シルクロード起源の音楽が、東西に分かれ、東は中国、朝鮮半島にもたらされ、日本において、唐楽(とうがく)、高麗楽(こまがく)、国風歌舞(くにぶりのうたまい)の三つの様式の完成形を見る。雅楽は全て「口伝」で次代に伝えられるので、千三百年前の形が、全く変化しないまま、現代に残されているのだそうだ。シルクロードの音楽文化は完全に消滅しているので、音楽の発祥が最も原初的な形で残されているのは雅楽しかない。これは既に「人類の遺産」と言うべきものであると。

     そして、三種の管楽器は、それぞれに「天」「地」「空」を象徴している。
     鳳笙は「天から射す光」を。
     篳篥は「地上の人の声」を。
     龍笛は文字通り「龍の鳴き声」を。
     東儀さんの専門は篳篥であるが、なるほど、篳篥の音色は人の声のように常に「揺らいで」いる。西洋のリコーダーは、穴の押さえ方で音階を正確に刻むが、篳篥は穴を押さえただけでは音程は一定しない。口で「操作」することによって、音色を作り出すのだ。だから下手が吹くと、どうしようもない音しか出ない。
     清少納言『枕草子』の一節に、「篳篥はいとかしがましく、秋の虫をいはば、轡虫(くつわむし)などの心地して、うたてけぢかく聞かまほしからず」とあって、さて、あの美しい音色が清少納言にはどうしてそのように耳障りに聞こえたのだろうと、長年、謎に感じていたのだが、東儀さんによれば、「彼女の周りにいた人たちが、みんな篳篥を吹くのが下手だったんでしょう」ということであった。当時も篳篥吹きの名人が全くいなかったとは思えないが、確かに雅楽師でなければ吹きこなせるしろものではない。下手くそは上手の何十倍もいただろうから、東儀さんの指摘には根拠があるのである。

     東儀さんが雅楽の道を志し、それが間違ってはいないと確信するに至ったあるエピソード、それがちょっと耳を疑うような話なのだが、一番印象に残った。
     モンゴルかどこかの外国に演奏旅行に出かけた時のことである。草原で、東儀さんが一人、スタッフと離れて、時間潰しに笙を吹いていた。すると地平線の向こうから、何かが群れをなして近づいてくるのが見える。牛だ。
     牛の群れは、笙を吹き続ける東儀さんに近づき、ちょうど2メートルほど手前でぴたっと止まった。気付いたスタッフはみんな血相を変えたが、東儀さんは不思議と恐怖を感じなかった。牛たちみなは笙の音に聞き入っている。東儀さんが演奏を終えると、牛たちは踵を返して、また地平線の向こうに去っていった。
     また、こんなこともあった。やはり外国の海で、クルーザーに乗って、甲板で笛を吹いていたところ、船に併走するようにイルカの群れが泳いでいることに東儀さんは気がついた。単に進む方向が同じだけなのかと思って、東儀さんは船を止めさせた。すると、イルカたちは、笛を吹く東儀さんの船の周りをクルクルと回り始めたのである。
     「もしかしたら、私の吹く音が『本物』だと、牛やイルカたちが教えてくれたのかもしれません」。

     東儀さんのお話を伺いながら、私がぼんやりと考えていたことは、日本文化における芸術のありようには、等しく共通点があるのではないか、ということであった。
     いささか牽強付会に聞こえるかもしれないが、それは「宇宙」と「自然」の「ミニチュア化」ないしは「フィギュア化」ということである。ミクロコスモスを身のまわりに感じようという意識が表現を伴ったものが日本的な芸術と見なされるということだ。
     日本庭園は、そこに山水を、渓谷や森や人里を作り出す。花鳥風月を詠むことを奨励した和歌・俳諧の歴史は、宇宙をわずか十七文字、三十一文字に凝縮させた。絵画はもとより、子供たちの玩具や折り紙、陣取りやかくれんぼといった遊戯に至るまで、小さな世界の中の宇宙を私たちは無意識的に感じてはいなかったか。
     そして雅楽の「天・地・空」も、そう広くはない方丈の上で表現される。宇宙は我々の生活の中にあった。この伝統は、現在もプラモデルやフィギュアやジオラマや、漫画やアニメーションの小さなコマの中に息づいていると思う。

     シルクロードの人たちも、遙か彼方の星々を、身近なものと感じていたのだろうか。


     おまけのミニライブの内容は以下の通り。
    1,『JUPITER (ホルスト:組曲《惑星》作品32 第4曲:木星より)』
    2,『Boy's Heart(ボーイズハート)』
    3,『誰も寝てはならぬ~プッチーニ:歌劇《トゥーランドット》から』
    アンコール,『ふるさと』

     宇宙の広大さも、青春の繊細さも、軽やかなユーモアも、切ない郷愁も、全てはこの掌の上にある。

    0

    2012/02/05 06:30

    0

    0

このページのQRコードです。

拡大