満足度★★
カルト・ムービーのカルトな楽しみ方
いったいどんな客層が今どき『ロッキー・ホラー・ショー』を観に来るのだろうかと思っていたが、観客のはしゃぎぶり、スタンディングオベーションの熱狂ぶりは、どうにも70年代カルト作品としての本作を賞賛してきた客層とはかなりズレがあるように見える。古田新太がティム・カリー(フランケ“ン”・フルター)かよ、と幻滅した世代は、さほど劇場に足を運んではいなかったのだろう。
基本的には映画と舞台は殆ど同じものである。ということは、この作品を70年代のゲイカルチャーやB級ホラーの再評価の流れと無関係に語ることは出来ないはずなのだが、現代日本の観客は、そんなものはいっこうに気にしない。と言うよりは「何も知らない」。実際、私が受けていたマニアックな(と言っても当時の文化を知る者にとっては常識の)部分では、若い観客は一切笑っていなかった。なのに最後には賞賛の嵐が渦巻くのだ。この矛盾の原因は何なのか。いったい彼らはこれの何をどう面白がっているのだろうか。
作り手たちはもちろん、自分の好きな作品をあえて現代に同化させずに好きに演じるのだから、基本的には「客に理解不能だって構わない」というスタンスだ。しかし実のところ、「どんなに訳の分からないことをやっても、客は受けるに違いない」と彼らは確信しているのではないか。
恐らくいのうえひでのりらは客を舐めている。観客の大半は「よく分かんないけれども、これは面白い気がするから面白がろうとする」と思っているのだ。そして実際、今の観客は、笑いどころで笑わずに笑えないところで笑っている。作り手としてはそれでもこの舞台は成功したと言ってのけられるのだろう。でも本当は、そういう阿呆な観客にこそ、冷水を浴びせかけるのが、『ロッキー・ホラー・ショー』の真髄であるはずなんだけどね。